僕らが幼少の頃、今日は夜になると「鬼は~外。福は~内」の声が響き渡っていたはずだ。大きな声を出して豆をまくのに照れはあったが、年に1度の行事を楽しんでいた。どの家でもまくから翌朝は道に豆がたくさんあって、それを踏む感触の心地よさもささやかな楽しみだった。
大きな升に入った豆が神棚で出番を待っている。夜になると家族全員で手を合わせて、その升を家長である親父が手に取り長男の僕に渡すと大きな声を出せと促され頑張る。そして続けて弟がまく。歳に1つ加えた数の福豆を食べて、いつもよりちょっとだけごちそうの夕食に僕ら兄弟は歓喜したものだ。
そんな想い出が詰まった今日は節分なんだなと一冊の本を開いた。講談社さんが1991年に発行した『暮らしの歳時記 今日はなんの日か?』で、デスクの上で常に役立っている本だ。あとがきには、受け継いできた文化や、美しい自然への理解を深める一助となることを願っていると書かれている。そのとおりに利用していて、節分についてどれどれとのぞき込むとしっかりと1ページを使って紹介されている。四季を分ける日のひとつとの説明から始まり、豆まきについてはたっぷりの文字量が割かれていて、この本の解説で地方によってはこの習慣が残っているが、都会ではほとんど失われたと解説している。
ちょっと待てよ。91年といえば僕はすでに所帯をもっていて、家族で堂々と豆をまいていたぞ。千葉県松戸の外れだったから地方といえるかもしれないが(笑)、息子がしっかり声を出していたぞ。まあそれもずいぶんと昔のことで、息子が大きくなってからは残念ながらこの行事は我が家から消えてしまった。せっかく両親が築いてくれた文化を継承しないのはなんとも親不孝者である。
ほとんどの家で豆まきをしなくなってしまい、取って代わって恵方巻きとやらを食す習慣が幅をきかせている昨今、みなさんはこれにどう取り組んでいるだろう。太巻きを一気にいただくなんてそんなもったいないことを、酒呑みの僕に出来るわけがなく、まったく興味はないが…。しかしこうした文化が根づいていく一方で、自分を含めて伝統文化をひとつないがしろにしているのはよろしくない。ならば我が家は復活させてみようか? 団地住まいだからあまり大きな声でなく、かつ、外への豆はごく微量にすればいいかもしれない。が、今宵は家に帰れそうもないから、復活は来年のお楽しみとしよう。
今年も21時過ぎに帰って来てやらされましたよ(*_*)
もういいんでないのの意見も無視され一家に一人の野郎であるおいらが。
幸いな事に我が家はマンションですが1階で専用庭があるので鬼は外は思い切りなげられますが声は遠慮気味で(^^;
明日には鳥の餌になるでしょう(^^)v
浅野さんのご家族はステキですね。「もういいんでないの」なんて言わないで、ずっとずっと大切になさってください。今頃鳥がたくさんですかね。
節分はおふくろの命日です。
平成乃昭和さん、そうでしたか。合掌。
集合住宅住まいの私んちでは、カミさんが小さな声で「鬼は外」と大豆をパラパラと
お印程度にまいていますね。子供たちも小さい頃は喜んでやってたんですが、最近は
覚めた目で「あとで掃除するの大変なのに・・」などと風情のないことを言っております。
今日は遅くなるので、カミさん一人で豆をまくのでしょう・・。
ジョニー藤好さん、ありがとうございます。
ステキな奥さんですね。うらやましい。ぜひ来年はご一緒に楽しんでください。
この時季幼稚園では紙で升を作ったり、鬼のお面を作ったりしていましたねぇ。
今でもそうなんでしょうか。
ca-niさん、ありがとうございます。
どうなんでしょうねえ? そういえば鬼のお面を作りましたね、懐かしい。