「勝田全国マラソン」完走!!

写真 1昨日は茨城県のひたちなか市で開催された『勝田全国マラソン』に出場してきた。20代のころから走り続けている大会で、近年はスタート前に読者さんと記念撮影している。今年は呼びかけに答えてくれたのは1人で、しかもご不幸があったとのことで無念のキャンセルとなってしまった。ということで今年のチーム『昭和40年男』は、本誌でバシバシ執筆してくれているタメ年ライターの濱口と2人っきりで、互いの健闘を祈りスタートを切った。

去年、濱口はこの大会を初めて走った。普段の仕事現場とまったくことなるコスチユームに身を包み太陽の下にいると、お互いに出版人と思えない爽やかさだった(嘘)。無事完走して、2人とも4時間前半に仕上げた。ならばと、50歳を迎える来年の大会で4時間を切ろうと目標を掲げて、呑むたびにそのことを刺激しあってきた。タメ年ライバル出現はありがたく、僕は例年よりもやる気にあふれていた。とはいえ互いに忙しい身だから、限られた時間の中で工夫しながら練習する。これはすべての市民ランナーがかかえる苦しさで、誰も彼もがやりくりに苦労しながら練習して大会に出てくるのだから、仕事を言い訳になんか出来ない。なにごともそうですが、やる気の問題ですな。

去る16日に新年会があり濱口と顔を合わせた。今月に入ってもうすでに100㎞走り込んだという。完走に有効とされる30㎞ランもすでに1本入れたと胸を張っていた。僕は今回の大会に向けて、1月に150㎞と前月に80㎞を最低でも走り込もうという練習目標を立てた。短い距離でもとにかく時間を作れたら走る。そして1月にはやりくりして30㎞ランも入れようと。だがここからは情けない言い訳をさせていただく。濱口にも頑に言わなかったし、このブログの小さなネタにもなると思ったのだが書かなかった。走る前に言い訳してしまうと逃げ道になってしまうと、根性なしの僕にしてはいい決意だったと思う。無事に完走したのだから思いっきり言い訳させていただこう(笑)。

極めて珍しいことに風邪をひいた。そして、こじらせることはまずない僕にしては珍しく暮れの押し詰まった頃に熱が出た。それでも大好きな年越しだから寝込むわけにはいかんと呑み続けたのだ。熱は仕事始めの5日には下がったが、呑み続けた罰が当たったかひどい咳が残った。結果、今年の走り初めは12日になってしまったのだ。大晦日には長い距離を走る予定にしていて、1年を振り返りながら走るのは近年の恒例にもしていた。お正月も頑張るつもりだった。と、時間のやりくりがしやすい時期に完全に失速してしまった。12月の80㎞という練習目標は、大晦日で達成寸前の66㎞までいっていたのがダメになり、1月も懸命に追い込んだものの70㎞に終ってしまった。

この練習量では4時間を切るなんてとんでもない。5時間も危ないかもしれないと弱気な自分を、ライバルへの意識が諦めるなとやっつけてくれる。そう、こうなったら気合い勝負だ。つうことで(!?)、箱根駅伝の総集編『もうひとつの箱根駅伝』を2度見て根性をめいっぱい注入した。そうして昨日は強い気持ちでのぞんだのだが、やはり練習不足は否めず4時間21分に終ってしまい、1年間掲げてきた目標は崩れ去った。悔しいには悔しいが、去年より少ない練習量ながら4分近く縮めているのは気持で攻めたからだろう。『もうひとつの箱根駅伝』はさることながら、良きライバルの存在が大きかった。10㎞手前だったと思うが、濱口が後ろから僕の肩をポンと叩いていいペースで抜いていった。すると前を行く彼を追いたい気持ちが、苦しいながら僕を前へと進ませてくれた。そして快調に飛ばしていった彼も所々で失速してしまい、4時間15分と目標には届かなかった。

走り終わった2人は握手を交わし、互いの健闘を讃え合った。この瞬間のなんと気持ちよいことか。そして懲りない2人は50歳になった最初の年に、今度こそ4時間を切ろうと目標をすげ替えたのだ。どこまでもボジティブな昭和40年男×2である。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

6件のコメント

    • 感染うれしいです(笑)。共に前へといきましょう!!

    • ありがとうございます。出走前に読んだ応援コメントにホント力をもらいました。
      昨日の『浅草秘密基地』では、来年に向けてスタート切ろうかと2人のタメ年男が前向きになっていましたよ。

    • ありがとうございます。ホント疲れきってます。気持ちは元気ですが。

コメントは受け付けていません。