巨人・大鵬・卵焼きとは僕らよりも少し上の世代の流行語だが、今やブロ野球チームはもとより、横綱に注目する子供がどれくらいいるだろうか。僕らの子供時代では野球チームの存在は大きく、力士にも注目していた。北の湖、輪島、貴乃花、そして最新号で取り上げた高見山などなど、お相撲さんと呼びなじみ深かった。子供の嗜好はずいぶんと変化したものだ。
言葉に象徴される絶対的な存在だった大鵬の、破られることはないだろうとの優勝記録を昨日白鵬がついに破った。今日明日を残しての見事なスピード優勝で記録に花を添え、こうなったら全勝で決めていただきたいと期待する。
去年の5月に僕は初めて国技館で相撲観戦を経験した。このときは白鵬のオーラを強く感じ、強さとは美しさだと感激したものだ。歳を重ねるごとに相撲が好きになっている僕だが、白鵬は常にその中心にいる。
ものすごい重圧の連続の中で土俵に立ち続けてきた。朝青龍の不祥事により1人横綱で引っ張った日々。八百長問題が勃発して信頼を完全に失った日々。そして近年は、大鵬の記録を意識させられる日々だったことだろう。それだけの重圧の中でどんな時も凛として立ち、すべてを背負い込んで角界のために奮闘してきた。とくに八百長問題で揺れた時は率先して引っぱり、信頼回復の貢献者である。だが“外人”力士であることが観客から本人に伝わる。人気日本人力士が白鵬に勝てば、その歓喜はどんなシーンより大きく巻き起こり、彼の心をえぐり続けてきた。一昨年の九州場所での稀勢の里戦で敗れた時は、万歳が繰り返されたのはなんとも残酷なことだ。そんな日々を乗り越えての快挙だから、今日のの気持ちは晴れ渡っていることだろう。心から讃えたいと思う。
ただ、リターン相撲ファンの僕にとって気になることがある。幼少の頃、一緒に相撲を見ながら解説してくれた親父はよく「横綱相撲」という言葉を口にした。正々堂々と真っすぐにあたり引き技は出さない。胸を貸すように一番一番を取る。それでも勝つから横綱なんだと。それが出来ないと自覚した時に横綱は自ら角界を去るのだと。白鵬は立ち合いで張ることがあり、また引いたりはたくことがある。僕の親父が生きていれば、これにはきっと激怒することだろう。
近年では横綱貴乃花が絶大な人気を誇ったのが、まさしく横綱相撲の人だったからだ。勝つことと相撲道をまっとうすることをキチンと両立させていた。白鵬は“外人”であることだけでなく、お客さんはよく相撲を知っている人ばかりが詰めかけるから、先のような万歳も仕方ない部分がなくはない。
今日よりはもう記録は必要ない。真の意味で大横綱の大鵬を超えるには、これからの一番一番にかかっている。相撲道をただひたすらに真っすぐ歩いていく白鵬を貫いていただきたいと願う。