昨今、お正月飾りがめっきり減ったように思う。地方差はあるだろうが、かつて家々の玄関によく見られたお飾りはほぼ消え、企業や商店からもほとんど見られなくなった。車にもよく付いていたものだが、今年は1台も見かけなかった。僕が小さい頃は車どころか、チャリンコにまで付けたものだ。お袋から何度も何度も「早く自転車の掃除を済ませなさい」と言われ、やっと腰を上げて寒風吹きすさぶ中で磨く。仕上がりのチェックを受けて配給されるお飾りのうれしかったこと。付けると誇らしげに近所を一周したものだ。
我が家では今もお飾り選びは楽しみの1つであり、わざわざ探しにでかける。居間に花を飾ったり、華やかに演出するようにしている。日本人に生まれてよかったなとつくづく思う。季節の変化を楽しむのは先祖からの習わしであり、お正月はその集大成だろう。
さあ、いよいよ50歳が目前に迫ってきた。『昭和40年男』の創刊当初には、僕らは社会の中間管理職者なんだと訴えていた。仕事だけじゃなく、家庭や地域といったいたるところで奮闘を続けなければならぬとも。創刊は2009年で時は流れた。そろそろ中間と言っていられないポジションへのシフトチェンジが求められているのかもしれない。責任と勇気を持って目の前の難題の数々と対峙していく。人生の仕上げへと1日1日が重くなっていく月日だろう。逃げることなくまっすぐに走っていきたいものですな。
気のはやい話だが、来年のお飾りを探しに華やかな街に出かけるのが楽しみだ。その日が去年よりももっともっとうれしい気持ちを味わえることを願い、今宵このお飾りを外す。お正月が大好きな僕だから少々の寂しさを味わいながら、シーンと静まり返った夜の毎年恒例の儀式だ。
それと思うのは、日の丸国旗を掲げる家がなくなったのが寂しい。
旗日って言ってたよね、昔は!
星条旗やユニオンジャックがファッショナブルで日の丸が右翼みたいな変なイメージは払拭したいですね。
そうですね。でも僕は今も旗日って言ってます。
>少々の寂しさを味わいながら、シーンと静まり返った夜の毎年恒例の儀式だ。
いいなぁ・・・。
なんだか正月は遠くに感じるほど切り替えが早い世の中になりましたね。
お屠蘇気分なんてどこへ行ったやら・・・。
お正月の余韻をもっと楽しみたいんですけどね。
ありがとうございます。
ホントですね。1月いっぱいはお正月気分を引っ張りたいところですが、老後の楽しみにしましょう。