暮れということで、今年の10大ニュースで〜す。
あくまで僕個人が、今年一年間の本誌編集作業を通じて出会った事件(?)を不定期に連載しているぞ。
それでは、第7位。ドゥルドゥルドゥル〜、じゃん。
「船舶免許合格。その裏にある緻密な計算とは!?」
夏号で組んだ特集『男をアゲる夏が来た』の編集会議でのことだ。
「編集長が積極的に誌面に出ましょう。
夏がテーマですからできるだけ挑戦ものがいいですね」
こう言い放ったやつがいた。
少々長く、やや脱線気味のように感じるかも知れないが、まずは解説をさせてもらおう。
わが弱小出版社が仕掛けた、この『昭和40年男』という勝負を
他所にパクられるのはすごくつらい。“年齢限定本”という自分の中から出てきたアイデアを
ジャンルとして確立させ、独占のうえで独走したい。
もちろん、野望としては他の年齢や女性にも広げていきたいということもある。
そこでだ、常々話してきたこのベタベタなタイトルが効果を発揮する。
いくらなんでもここまでベタベタにやった、しかも小さな出版社がひねり出した
独自のアイデアをパクるのはカッコ悪いよねという作戦である。
とはいえ、防御線はたくさん張った方がいいと常々思っている。
だから、このブログでもいろんなことを赤裸々に語り、
浅草秘密基地では毎週読者さんとの出会いの場をつくり、
読者ミーティングの『宴』では、ハイテンションなMCを務め、
下手くそな歌まで披露している次第だ。
この編集会議で副編小笠原が放った言葉は、そんな我々の作戦のベクトル上にある。
そう、編集長自らが泥を被り汗をかくことで、ますます真似できなくなる。
名付けて“あそこの編集長バカだから相手しない方がいいよ作戦”である。
この恐ろしい作戦により、もう誰も真似できない(したくない!?)本へと登り詰めた。
その瞬間がこの編集会議から生まれたことになるのだ。
後に雑誌業界の歴史を振り返るときに必ず出てくる、勝海舟と西郷隆盛の
江戸城での会見に匹敵するほどの意味を持った瞬間といっていいだろう(爆笑)。
まあ、とにかく大きなターニングポイントとなったことは間違いない。
これによって本の評判を著しく落とす可能性もある。
チョイワル親父のような格好良さとは180度真逆にいる自分が誌面に出たらどうなのよ?
自問自答を繰り返した。写真に撮られること自体が大嫌いな僕である。
だがもちろん、好きだの嫌いだのという次元の話ではないよね…。
判断としてはありか無しかである。これが何年も続いている雑誌だと、
取り返しの付かないことになるかも知れないが、まだまだ試験段階での雑誌だ。
まあ、だったらやってみて判断しようという、いつものパターンで決定した。
長い編集者としての人生で、初めて自らが主役となり誌面に出ることになったのである。
船舶免許を取って、大海原を旅する。昭和40年男にとって十分にロマンのある、匂い立つ企画である。
しかも好都合なのは普段バイクでつき合いがあるヤマハさんの独占状態の世界でもあるのだ。
協力してもらえるうえ、なんと広告まで出してくれた。ワーイワーイ。
と、企画の滑り出しこそよかったものの、さすがに免許となるとカンタンではない。
学科に実技、双方ともに想像以上にハードルは高かった…。
教習に行けば取れるというものではなく、個人の努力が相当に必要なのだ。
すなわち時間が忙殺される。それでなくとも時間がないのに、
これにものすごいボリュームの仕事が加算されたことになる。
さらに実技に行けば、車の免許を持っていない不器用さが露呈し、気分は大いにブルーになった。
企画のスタートが遅かったこともあるが、実技の試験日程を考えると落ちることは許されないのだ。
落ちると次号送り、いや次号はもう秋だから無理で、企画自体が成立しなくなる。
広告ももらっている。ものすごいプレッシャーの中での試験になった。
でもね、そこはさすがの僕だね。
見事合格して、クルージングの旅を誌面で展開することができた。
久しぶりの免許取得となったわけだが、合格ってヤツはいくつになってもうれしいものですなあ。
それとね、海という道のない水面を駆けていくのは、心の開放感がハンパでない。
てなわけで個人的に、かつ歴史的見知からも大きな事件だね。
試験に出るからしっかり記憶しておきたい7位でした。