昨日このブログに、『冬が来る前…』になんて書いたら、今日の東京は真冬の寒さに冷たい雨、そして風の三重苦だ。だが昨日書いた手前、真冬のコートを出動させることなくやせ我慢で出社したのだった。震えながら街を歩いていてふと思ったのは、世の中からやせ我慢がずいぶんと減ってしまったことだ。
豊かだったような錯覚はあるが、俺たちにとっての昭和は貧しさもアチコチに残っていた。我慢を強いられる場面もしばしばありながらも、未来への希望が満ちあふれていたことで気持ちの豊かさを感じ続けられた時代だ。そんな俺たちを育てた親の世代は「欲しがりません勝つまでは」だったり、戦後の荒廃の中で何もないなかで育った。豊かに変わっていく日本の中で親たちは、我慢することの大切さとやせ我慢の美徳を教えてくれたのだ。
「男は黙ってサッポロビール」のコピーを愛した親父は、やせ我慢の多かった男だ。思い出すのは、クーラーの取り付けで手に大きな傷を負い、血がダラダラと流れ出た時のこと。その上から作業で使うビニールテープをぐるぐる巻きにして取り付けを続けた姿は、男とは何たるかを見た気がした。後になって、これは親として子供にやせ我慢教育をしたのだとも思った。やせ我慢を良しとするコンテンツや史実、事象の数々を愛して、僕に男とはなんぞやと説き続けてくれた。健さんをこよなく愛したのも、そのまま僕は受け継いでいる。
やせ我慢の美学を教えてくれたのは親父だけじゃない。僕らだってドラマやアニメ、歌謡曲などコンテンツの数々から多くを学び取った。そのひとつで燦然と輝く名曲が、沢田研二さんの『勝手にしやがれ』じゃなかろうか。情景がハッキリと浮かんでくる中で、カッコつけている主人公に学ぶところは大きかったが、こんなカッコいい男は演じられることなく今に至った僕である。
そしてこうして書きながら今さら、親父と比べると息子への我慢教育が充実していなかったことを悔やんでいる。もっとキチンとやせ我慢の美徳を教えておけばよかった。遅ればせながらも、努力は惜しまぬようにと自分に言い聞かせたりしている、寒さの厳しい今日だ。
徳川三百年の時代にも、武士は食わねど高楊枝という言葉もありましたな。
やせ我慢の美学とは武士道とみつけたり!かも知れません。
生活保護制度が近年いろいろ話題になっていますが、昔はプライドとやせ我慢も含めて生活保護には落ちたくない!という気概で多くの日本人は頑張っていたと思います。
いまではプライドなどない、やせ我慢もしない人が多いと率直に感じます。
ちょっと難しいテーマですが。
ありがとうございます。僕らの信念と気概で頑張りましょう。