富士は日本一の山。

富士山

 イベント会場に向かう途中に寄ったサービスエリアでのショットだ。いつ見ても、何度見ても富士はいい山ですなあ。

司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』で、江戸に向かう途中に生まれて初めて富士山を見たシーンが印象的に描かれていた。盗賊の藤兵衛なる男がこの旅の共で、山に感動する龍馬は藤兵衛がさほど関心のない素振りに気付く。富士山は見慣れているから関心がないのか。初めて見た時はさぞ驚いただろうと問う。苦笑いしながらそうでもなかったと答える藤兵衛に「血の気の熱いころにこの風景をみて感じぬ人間は、どんな才があってもろくなやつになるまい」と説く。すると藤兵衛から、ならばなにを思ったかと返されて「日本一の男になりたいと思った」と答えるというくだりだ。この藤兵衛というキャラは司馬さんによって演出された人物で実在しないと後で知ることになったが、実にうまく龍馬の考えを引き出す役どころであることに感心させれられたのだった。と、こんなすてきな話になるのも富士山の魅力である。

子供のころは絵といえば富士山を書いていた。才能なんかこれっぽちもないヘタクソながら、富士山だけはなんとなくキマる。雪のラインを色々と変えることで表情が変わるのが子供心に楽しかった。カレンダーや銭湯の富士山を参考にしては違った感じの富士山にチャレンジを続けたのだった。こんなことを書きながら思い出したのは、銭湯の富士山を見る度にいつか目の当たりにする日をワクワクしながら夢見た日々だ。そしてあの壁は、僕にとって最初に親しんだアートと言えるだろう。

東京から兵庫県明石までの間にお客さんがたくさん出来て、新幹線を利用することが増えた僕は、出来る限り富士山側の窓際の席に陣取る。ところがこの山はなかなか姿を見せることが少なくて、ガッカリさせられることが多い。あるカメラマンが言っていた。富士山をきれいに撮るのは粘りも大きな要素で、そうした意味ではアマチュアこそがいい写真を撮れる被写体だと。なるほど、ガッカリさせられる日が多い僕だからそれは頷ける。

さて、龍馬と同じように日本一の男とまでは言わないが、やはりこの山を見る度に雄大な気持ちになる。もっとやったるぜ。まだまだ高みを目指して登るぜと、この日も血がたぎった僕なのはちょっと子供っぽいが悪くない。いくつになっても何度見ても、そんな気持ちになれる昭和40年男でいたいものだ。

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2件のコメント

  1. 清水SAかな?
    富士山見えるとドキドキするよね。
    これからが空気が澄んで、より綺麗にみえるんだよね。
    龍馬が行く読んでたんだ。
    話しした事無かったから。
    俺も全8巻2回よんでるよ、成人してからだけど。
    高校生ん時に読んどけぱなぁって思ったり。
    多分何も変わってないとは思いますが(^^;

    • 僕も成人してからで、チョッピリ後悔しました。そんなもんだから息子には強力にプッシュしたのですが、途中までで挫折したようです。ああ、情けない。

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