一昨日は、この夏に台風によって中止となってしまったイベントの仕切り直し開催だった。ウチの会社が作っている、カワサキだけに絞り込んだバイク雑誌『カワサキバイクマガジン(KBM)』の読者ミーティングである。晴天に恵まれイベントは大盛況で無事にやり切ることが出来た。『昭和40年男』読者さんもチラホラ見えて、感謝感激の1日だった。
僕は司会進行を担当してほぼしゃべりっぱなしだ。なかでも頭をフル回転させてのぞむ、ゲストの方々の話を引き出すトークショーは重い仕事でありながら楽しくもある。今回駆けつけてくれたのは、全日本ロードレースにスポット参戦中で、日本最大のバイクイベント『鈴鹿8耐』も戦った出口修さん。このイベントには第1回からほぼ欠かさず参加してくれている、ミスターカワサキと呼ばれた男、清原明彦さん通称キヨさん。そして今年はこれで4回目のトークショーの仕事になる、若きカワサキのエースライダーの渡辺一樹さんの3人だ。
トップバッターの出口さんは、今年の8耐で最後の最後でチームメイトの転倒に泣いたが、その真相を語ってくれた。ライブならではでちょいとここでは書きづらい話を披露してくれて、会場は大盛り上がりだった。続けて去年9位で完走したルマン24時間耐久の体験も披露してくれた。決勝日は打ち上げまでを含めると、実に48時間眠らなかったそうだ。そんな極限状態でひとりあたり8時間走る体力と気力とはなんぞやと、もっともっと突っ込みたいところだったが、追い込みきれずタイムオーバーとなったのはちょっぴり残念だった。
続いてキヨさんもここには書けないことばかり。とはいえ多くの方が見守る中で、現在のデジタル社会である。そんなこと大物には関係なく、歯に衣着せぬとはこの人の為にある言葉だと思えるほど小気味いい。学年でいえば20コ上の68歳は、そうはとても思えない元気な姿を見せてくれた。今も毎日のようにバイクのトレーニングをしているそうで、見習うべき生き方だ。
そしてこの大物両名がいるのに、トークショーでは敢えてトリの出番としたのが、まだ24歳になったばかりの渡辺一樹さんだ。今年はこんな仕事をご一緒させてもらっていて、スゴイ立場の男ながらどうしてもカワイイ息子のように思えてならない。実際の息子よりも年下だし。
イベントでのトークを少しでもおもしろくしたいからと、彼の中に土足で入っていくのは正直シンドイ。とくに今年はカワサキにとって久しぶりの8耐への復帰となり、その期待を一身に背負った彼だった。そこで無念の転倒を経験したのは相当なショックだったに違いなく、ここをえぐらなければならないのはなんとも嫌な気持ちにさせられたが、お客さんたちにとってはもっとも知りたいところだから、心を鬼にして斬り込んだ。複雑な思いを語る。その上で、でもいい経験をしたと言い切ったのは、ヤバいヤバいとこみ上げてくるものを押さえ込むので精一杯だった。常人では想像がつかないようなつらい経験をして、月日によってそれをいい方へと消化した彼だ。素晴らしい言葉の数々におっさんは嬉しがりっぱなしだった。
下の世代の成長を見守ったり喚起したり、時には叱責してよりよい方向へと導いたり、俺たちおっさんの責務である。この前夜に、キヨさんと渡辺さんは我々スタッフと一緒の宿に泊まり、キヨさんは夕食時から日付が変わるころまで渡辺さんにひたすら説教していた。それに対して、真剣に自分の中に取り込もうとする若者の姿勢が清々しかった。そんなキヨさんを見ながら、もっともっと見習わなければならぬと燃えたぎった僕だ。
若者にとっておっさんの説教はうっとうしいかもしれないが、間違っていないことなら心を込めてガンガン打ち込んでいこう。それがホントにうっとうしかったら近づいてこなくなるだけのことで、遠慮するなんておかしなことだ。僕自身もキヨさんの説教がいくつも心の中に響いている。初めて呑みに連れて行ってくれた時は「男はな、絶対に義理を欠いたらアカン。いいか北村君、ケツは掻いても義理欠くなやで」との言葉で、これ以降もいつも説教していただきながら僕を成長させてくれた。歯に衣着せぬ男としたが、やさしさと愛情であふれているからそうなる。懐のでっかい人で、僕の目標とする人物の1人で大切な親父さんでもある。今回は渡辺さんに接する姿勢そのものが、僕への説教になったということだ。