月並みですが、最後のひと月となった。胸騒ぎのひと月…、なんてね、腰つきです。
桑田さんが紅白で復帰と、昨日のスポーツ新聞にデカデカと出ていたねえ。
なんともうれしい限りですな。
今日はいたるところで「早いねえ、1年は」なんて挨拶やら、文章やらが舞うことになるだろう。
たかが12分の1、されど12分の1というところだろうか、もういくつ寝るとお正月となる。
楽しみだなあ。目一杯盛大なものにしてくれた両親のおかげでしょうな、感謝だね。
街の小さな電気屋さんを営んでいた我が家は、夏のクーラーの時期と12月がもっとも忙しい。
暮れの看板商品は新型テレビ。お正月番組を新しくするという需要でひっきりなしに売れた。
昨日も書いたけどテレビはものすごく大きな娯楽だったのだ。
大晦日のそれこそ家族団らんが始まる直前まで納品に追われ続け、
やっとその騒ぎも落ち着き親父の晩酌が始まるものの
当時の電気屋さんは店を閉めることを許されない。
まだコンビニなんかなく、商店が元気だった昭和の下町では、
大晦日に電池や電球を買い求めるお客さんが途切れないのだ。
「よいお年を」と次々とお客さんを見送り続け、“ゆく年くる年”が始まるころ
やっと、1年の感謝を込めながら家族総出で店を閉める。
12月は店を1日たりとも休まないから、これが子供心にうれしかった。
商店を営んでいる家の独特の感覚だろうが、やっぱり開けているのはせわしなく、
閉めると子供でさえ落ち着くものなのだ。
4日間も店が開かない。毎年この期間だけ許される、北村家最長の休みに入る。
普段見たこともない料理や経験ができる4日間でもあり、
1月4日は8月31日とは感じ方の違いこそあれ、寂しい日であった。
僕も流れ流れて休みのほぼないこの仕事に就いたが、お正月はがんばって休む。
かつては銀行が31日まで開いていたから仕事納めは大晦日で、
仕事始めは4日だから3連休であったが、
いつからだか金融機関が31日から休むようになり(なってくれ)、僕の連休は4日間に増えた。
ひたすら呑んだくれているだけであるが、1年でもっとも幸せな4日間であるのは間違いない。
だがそれは、ささやかながら幸せであるからであって、
かつて義父を年明け直前に亡くしたお正月は最悪だった。
なにをやっても楽しくない。お酒を呑んでもおいしくない。
ひどい話だけど、周囲の幸せが見たくないから外に出たくない。
テレビをつけてももうとにかくなにをしてもつまんない。
仕事をすればまぎれるのかなと思い経済本を読んだり、
音楽を垂れ流しにしたりして過ごしたお正月は、もう2度と経験したくないなあ。
そんな想いで迎えている人もたくさんいるのだということを知ったお正月だったのだ。
1年が始まる日でもあり、1年をがんばったご褒美でもあるのだね。
さあ、残り1ヶ月を最高のお正月に向けて突っ走ろう。
僕には・・
胸騒ぎ残しつつ・・
と・・
聞こえました・・
satoru