深まる秋に49歳男は思う。

写真 1ほんの数日前のこと。爽やかな秋風が吹き抜ける中で、こんな風にひまわりがきれいに咲いていた。10月は季節のグラデーションがもっとも強く感じられる月だ。朝晩は涼しく早いものは葉が色づき始めているのに、こうしてひまわりが咲いているとおり汗ばむ日もある。そんな変化を楽しむのも日本人の喜びで、いろんな感性を自然と鍛えてくれるのだから深く感謝せねばならんと、毎年この時期になると強く感じる。

季節の変化が大きいからか、この時期を表現する言葉には思わず唸ってしまうものが数多くある。いにしえの偉人や俳人、作家たちが素晴らしい言葉をひねり出している中で、年下の女の子YUKIちゃんが歌ったこの言葉も燦然と光っている。

“鈴虫が最後の夢を見てた”

JUDY AND MARYの『イロトリドリ ノ セカイ』の2コーラス目のサビ前。この一節におじさんはいつもキュンとなってしまう。そしてどんな夢だったのだろうと想像してみる。するといつのまにか自分の今年を振り返っていたりする。もう今年も仕上げの段階になったのだと、これまたこの時期になると強く感じる。そしていい1年で終らせたい、まだ間に合うぞと強く拳を握りしめるのだ。

大好きなお正月がまた近づいてきた。そして、50歳の大台を迎える年に少しずつ近づいている。10歳刻みのこれまでのメモリヤルエイジで、これほど重く感じることはなかった。タメ年男たちとも50歳の壁は大きいなとよく話す。きっとこれから歩んでいく60、70、80(そんなに行けないだろうが)もこれまで以上に、そして今回以上に強く大きく感じるのではないかな。そのときになってみなけりゃわからんが、今回の50代への突入はホントに大きく感じていて、その仕上げの月日がもう残り少なくなってきた。さあ皆さん、明日へ突っ走っていきましょう!!

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2件のコメント

  1. 半世紀デスもんね。
    40を迎える時には人生折り返しポイントみたいな言い方をしてましたね。
    50となると残りの人生の方が短いということを強く意識するポイントですね。
    余生という言葉は、まさに50から使われる、解禁される言葉だと思います。
    母は60過ぎで逝ってしまいました。
    そう考えるとこれからの人生、どう生きてゆくかを考えさせられるポイントですね。

    • たしかに余生に突入ですね。僕の親父は62歳、健康が売り物だった義父は61歳で逝きました。おっしゃるとおり、どう生きていくか考えるポイントなんですな。

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