先日、金八先生の脚本で知られる小山内先生のインタビューに出かけてきた。
連載特集の “夢、あふれていた俺たちの時代” で、次号は昭和54年を取り上げる。
そこで一発目の金八先生の放送がこの年だったということで取材をお願いしたのだ。
昭和40年男から見ると1つ上の先輩という設定だ。
驚愕だったのは中3で妊娠というメインコンテンツだったこと。
まだまだ妊娠なんて夢のまた夢だった僕にはショッキングな内容だったのと、
細部のリアリティは子供心にも感心させられたものだった。
そして次のシリーズでは「俺は腐ったみかんじゃねえ」の加藤君が印象的。
あのとき、映像がスローになって流れてきた「世情」は、僕たちにとって永遠のシーンじゃないだろうか。
そんな脚本を作り込んだ先生の話は、ものづくりの何たるかを再確認させてくれる言葉があふれていたよ。
元気になっちゃったな。
本を書くための取材量がそのままリアリティにつながったのだろうな。
小山内先生の息子さんが僕たちの1つ上だったそうで、その仲間連中からの言葉を吸い上げ、
中学校に出かけていって取材にあたったとのこと。
司馬遼太郎さんは竜馬を書くときにトラック何台分もの資料をかき集めたと聞いたことがあるけど、
取材量はそのまま作品の細部に反映されていくのだ。
80歳とは思えないパワーあふれる人で、インタビュアーとなった編集部員が叱責を受けたほどだ(笑)。
でもね、そこにはこの若い編集者を教育してやろうという愛があふれているのですよ。
東京下町で育った僕にとってはなんとも懐かしい頑固じじい(先生は女性だが)そのものだった。
杖を振り回して怒るじいさん。他人とかそんなもん皆無で、
まるでこの街の子供たちが全員じいさんの孫なのかというくらい、しょっちゅう誰かが怒られていた。
そんな感じだね。
と、このインタビューで判明してしまったのよ。
金八先生のモデルは小山内先生そのものだったのだ。
こうして編集部員さえ教育してくれるおせっかい婆さんぶりは、そのまんま金八先生そのものでしょ。
先生はぼやいていたな、最近のドラマはくだらなすぎると。その通りですね。
だから僕たちはこの “夢、あふれていた俺たちの時代” を連載しているのですよ。
あの時代を懐かしく思うだけじゃダメで、あの時代から学んだことから今の時代にフィードバックできることを探したい。
リアルに時代の空気を吸っていた俺たちだからこそ、それが可能なはず。
昨日書いた本木さんのインタビューでも『坂の上の雲』は、
あの時代からもう一度現代に活かせるアイデアがあると語っていたのはスゲーうれしかった。
そうなんですよ、決してノスタルジーに逃げ込もうと思っているわけじゃなくて
あの時代のものづくりへの熱とか、普遍的なものへの追い込みとかってものすごい熱を帯びているでしょ。
それを自分たちが再確認することから、社会の中間管理職者としての責務を全うしていきたいじゃないですか。
と、自分の持っている危機感を再確認させてくれた取材現場だったのだ。
おっ楽しみにね〜。