赤坂にある大好きなミュージックバー『キングハーベスト』で先日、僕にとってのスーバーアイドルのサインを見せていただいた。アイドルといってもちょっとゴツい黒人ブルースマンだ。
好きなミュージシャンを聴き込んでいくと、やがてそのルーツとなったミュージシャンを掘りあさるようになっていく。音楽に本気でハマった昭和40年男ならわかっていただける方が多いだろう。僕の場合はクイーンで洋楽ライフが始まり、さまざまなミュージシャンを経て最初の区切りを付けてくれたのがツェッペリンとエアロスミスだった。子供心になんとなく行きついた感じがしたのだ。そしてここを起点にして深く深く下の階層を求めるようになった。ブルースロックに行き、そこからはさらにさまざまなルーツミュージックを幅広く掘り込んでいった。R&Bやロカビリー、ラグタイムなんてのも聴き込んでは唸っていた高校生だ。そこで辿りついてしまった麻薬的な音楽が黒人ブルースだ。マジック・サムやアルバート・BB・フレディのキング3人、エルモア・ジェイムスなんてライト(!?)なのから入っていき、さらに掘り込んでいく。中毒患者のようになってしまい、中1で出会って以来愛読していた『ミュージックライフ』を買わなくなった。バンドで食ってやると夢描いていた僕なのに、ギタープレイがブルースに毒されていく。早く弾くことや複雑なコード、難しい音使いのソロなんて糞喰らえ。ギターとは魂を込めてひたすら強く強く弾くもので、ソロは表現できるギリギリ最小の音数で弾くことが優れていると、極端なバカ思考になってしまったのだ。伸び盛りの高校時代にこんな考えを持ってしまったことは、今振り返るとあまりよくなかったかもしれない。息子がギターで食うことを目指したら、家にあるブルースのレコードやCDはきっと隠しただろう。と、そんな風にも思ってしまうほど麻薬性の強い音楽に行きついてしまったのだ。
ライトブルースからさらに掘り込んでいき、フルボディのブルースへとハマっていくのにそう時間はかからなかった。そうして行きついたのがライトニン・ホプニンス、ハウリン・ウルフ、ジョン・リー・フッカー、そしてマディ・ウォーターズの僕の呼ぶところでは四天王たちと、その頂点に君臨するロバート・ジョンソンである。コイツらによって僕は完全に廃人にさせられたのだ(笑)。
そんな話を『キングハーベスト』のマスターにした。そして、昭和59年のジョン・リー・フッカーの来日公演に行ったことを自慢した。よくよく考えればこの程度のことがミュージックバーのマスターに自慢になるはずがないのに。
そしてマスターは、そんなジャンキーなのかと「昭和55年にマディ・ウオーターズ来日したときのサインだよ」とこの宝物を見せてくれたのだ。「ウギャー」34年前の神様が書いたサインで、この3年後にマディは他界している。なんだか興奮して体が熱くなってしまった。
ブルースのことだけで考えると昭和35年くらいに生まれたかった。そうすればマディの来日公演や昭和53年に来日した僕のアイドルナンバー1に君臨する、ライトニン・ホプキンスの来日も見ていたことだろう。ライトニンもマディの1年前に他界していて、昭和40年男は不運なのだ。もっと早くブルースに出会えばよかったかといえばそれはない。中学生ではあんなゴツい音楽にハマるのは無理だ。てなわけで、ブルースシーンだけとったら昭和35年以前の生まれは幸運な世代だ。
時間を超えてスーパーアイドルの直筆にふれた夜、フラフラで家に帰るとマディを1曲だけ聴いて歓喜した。彼に近づいた気がした、至福の時間だった。