大編集後記その五。マイケル・ジャクソンが来日した昭和62年。

いい週末をお過ごしですか? より充実した休日にするために『昭和40年男』をぜひ手に入れてください(笑)。では今日もしつこく最新号のPR『大編集後記』をお届けしよう。

毎号、第2特集と位置づけている連載企画『夢、あふれていた俺たちの時代』では昭和62年を取り上げている。バブルまっただ中で、読者諸氏はどんな風を感じていただろう。社会に出ていればそろそろ仕事がおもしろくなってきた頃で、時代の恩恵を感じていたかもしれない。学生だったら就活接待でガハハと笑っていたかもしれない。いやいや、バブル景気がピンときていないタメ年たちも実は多いだろう。僕も居酒屋のバイトとアマチュアミュージシャン活動でドロドロになりながら、なんとか生きているといった頃だった。ただ、今振り返ってみれば確かに金の匂いがプンプンするような現象がたくさんあった。この年に日本中をフィーバーさせたマイケル・ジャクソンの来日公演も、バブルの円パワーによる恩恵は大きいだろう。

同じ年にマドンナの来日もあった。ミュージシャンの来日が社会現象になる。ビートルズ来日が記憶にない僕にとって、マドンナ騒ぎの大きさは違和感を感じたほどだった。そしてその約3ヶ月後のマイケル来日はさらに大きなフィーバーぶりだったのだ。直前の8月31日にリリースされた『BAD』のヒットもバッチリと重なり、同名のタイトルチューンを聞かない日はなかったほどだった。マイケルを象徴するようなカッチョいい曲で、最高のタイミングでのツアーに酔いしれたタメ年は多いことだろう。

MICAEL JACKSON BADマイケルと昭和40年男は相性がいいと思う。前作『スリラー』がリリースされたのはこの年より5年遡った昭和57年で、多くの昭和40年男は高校時代。ちょうど洋楽を自然に受け入れられるようになった頃だろう。ミュージックビデオ全盛時代で何度も見てはダンスのカッコよさに酔いしれた。ディスコに通っていた輩は多いだろうが公式には入れない、まだまだ青臭い高校時代に世紀のビックヒットを体験できた。後に『We Are The World』でその存在感とビックミュージシャンぶりを知り、とどめの来日&『BAD』だった。ディスコだって堂々と入れて、大人として世の中を闊歩していた俺たちだ。そんな時に、マイケルがビートルズ以来最大の来日ミュージシャン騒ぎを起こしたのだ。マイケルの活躍にもっとも親近感を感じていい世代なのではないか。ひねくれ者の僕はこのフィーバーに乗り切れなかったが、後になってマイケルの偉大さに素直になり後悔したバカモノである。若さとは愚かなことよ。

皆さんは当時どんな想いでマイケルフィーバーを眺めていましたか。貴重な当時の証言を楽しんでいただきながら、あの日の熱を思い起こしていただきたい。さあ、書店へと走れ!!

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