さあ、印刷機が回り始めたぞ。11日から始まる勝負に向けて、きれいに刷り上がってほしいと願っている今日だ。
連載の特集企画『夢、あふれていた俺たちの時代』は、昭和62年を取り上げた。内容に関しては、発売日まで遠いからここではまだふれないが、きっと多くの昭和40年男にとって記憶に強い年なのではないか。なんといってもバブル絶頂期で、ものすごい勢いで世の中がうごめいていた。僕は居酒屋でバイトの兄ちゃんだったのに、投資の話とか普通に聞こえてきてちょっと薄気味悪い感じがしたものだ。
大学進学コースのタメ年たちは就職活動で走り回り、完全なる売り手市場を謳歌していた。就職組は昇給やボーナスの景気のいい話に浮かれ、大人の遊びに浮かれまくっていた。そんなヤツらが貧乏人の僕のところにはきては、自慢話を披露していくのだった。
ミュージシャンになりたくて頑張っていた当時の僕は、就職も大学も眼中なし。言ってみればフリーター状態だった。しかもこの前の年に結婚して、2月には21歳で時給生活のくせに父親になっちまったのだから無謀である。千葉県の松戸市にあったくみ取り便所の借家住まいで、バブルとはまったく無縁の生活で苦しい毎日だったが、将来に不安なんかちっとも持っていなかった。ミュージシャンになって豪快に稼いでやる。そうならないなんてことは考えないバカモノだったが、さすがに子育てが始まったことで悩みが生じ始めていた頃だった。生まれて初めて悩んだものの、日本にいれば食いっぱぐれることはねえやと楽観の方が断然強かった。
バブル景気で本当に踊れたのはチョイ上の先輩方で、具体的な恩恵を受けるには我々世代は若すぎた。ただ、金がなくとも将来の心配をせずに笑っていられたことが、俺たちが享受したもっとも大きなバブルの恩恵じゃなかろうか。どう転ぼうが大丈夫との根拠なき余裕に浸りきっていられた。日本の発展は疑う余地なしのイケイケドンドンである。そんな勢いの象徴的な出来事で強く記憶しているのが、ゴッホの『ひまわり』買収や、NTT上場なんて大騒ぎだ。証券会社に勤める親戚が、NTTは絶対に申し込めと騒いでいたのがまるで昨日のことのようである。
マドンナとマイケル・ジャクソンなんて大物が来日したのも、ジャパンマネーの強さが実現させたのだろう。両者ともに大騒ぎとなり、この手の最新音楽にうとい僕はやさぐれながら騒ぎを追いかけていた。とくにマイケルは長期滞在だったためテレビからは連日なにかしらの映像が届けられ続け、発売直後のアルバム『BAD』のタイトルチューンを聞かない日はなかったほどだ。この曲を聞くと今でもバブルの空気と汲み取り便所の空気がごちゃ混ぜになって蘇る。と、そんな昭和62年から編集部がセレクトしたネタの数々を予想するのも『昭和40年男』のヘビーユーザーにとってはお楽しみかもしれない。1週間後に迫った発売を、しばしお待ちください。
昭和62年と言えば、国鉄解体!民営化、JR元年。
オイラは国鉄職員を辞めた年だったなぁ。
国鉄にいらっしゃったのですか。どんな職場なのか興味あります。
E電とかって呼び方も一瞬ありましたよね?
地方はまだまだ不景気でした。63年にやっと良くなってきて、しかし昭和天皇がご病気で自粛ムード。陽水の「御元気ですか~」はCMの声が消されてました。ww セフィーロ良い車でした。ローレルのシャシー。ガソリン安かった。でも金利高くて、自動車ローン組めなかった。w
平成になって、ん~? 平成2~4年ぐらいが、まあまあいい感じでした。(脱線)
1986オメガトライブが、カルロス・トシキ&オメガトライブになったんでしたっけ?w
レオ貴さん、ありがとうございます。
地方は不景気だったとの話は初めて聞きました。参考にします。
バブルって?感じだったかな(*_*)
娘1歳にも関わらず短気起こして会社辞めて、根拠の無い自信だけで生きてた頃ですな(^^;
すぐに、なかなか仕事が決まらず叩きのめされたんですが。
そりゃそうだよね、何にも出来ないのに自信だけはあるんだもん、俺でも雇わないよね。
そんなこんなで周りが全く見えてなかった時代だと思うので、改めて本を通してお勉強します。
でも今より服や靴は良いもの着たり履いたりしてたかな?
浅野さん、ありがとうございます。
根拠のない自信はまったく一緒で笑っちゃいました。地球を回していくのは俺だくらいのことを言ってましたから。バカ者同士ですな。