先日ここに書いた『熱中症を体験した昭和40年男』に、読者さんより鋭い突っ込みが入った。「昭和40年男は熱中症になってはいけない。なっていいのは『日射病』だけです」と。これには思わず爆笑させられた。確かに昭和40年男にとっては日射病である。夏休みに外へ出かける時は「帽子をかぶらないと日射病になるよ」と、耳にタコ状態だった。
暑いだけでなく、まさしく異常気象が日本列島を包み込んでいる。夕立なんて風情のある言葉は日射病同様にほとんど使われなくなり、ゲリラ雷雨なんてなんの香りもしない呼び方になってしまった。汗びっしょりで遊んでたところに、ざあっとひとしきり雨が降り、軒下に逃げ込んでやり過ごせばさっきよりグーンと涼しくなってまた全力で遊べる。虹が出ようものなら大興奮で、夕立は大歓迎で迎え入れていた昭和の俺たちだったはずだ。今ではパニックを引き起こす完全な嫌われ者になってしまった。
猛暑日なんてのも最近の言葉で、なんだか暴力的に感じる。僕の通っていた小学校では、気温が28度を超えないと夏休みのプールが中止になる。当時は真夏だってのに、わりとちょくちょくあったものだ。今では考えられず、30度の真夏日を下回ることはほとんど無くなった。台風だってそうだ。上陸するのはお盆過ぎで、主に秋の被害だった。学校が休みになるかもしれないとワクワクしたのは夏休みボケが抜けない9月のことで、夏休みに台風で遊べなかった記憶はほとんどない。
先日鈴鹿で行なわれた夏のバイクの祭典『鈴鹿8耐』では、11時半のスタート直前にゲリラ豪雨がサーキットを突如襲い、大会史上初のスタート遅れが生じた。1時間5分も遅れて、今年は『鈴鹿6.55耐』になってしまったのだ。後に晴れ渡ったと思ったらさらに数十分後にまた激しい雨が振り出してレースは荒れまくった。僕が心の底から応援していたカワサキが…って、たらればはやめよう。
この異常気象は我が社にも影響をもたらした。今週の土曜日に予定していた、主催のバイクイベントの延期を決定せざるを得なくなってしまったのだ。台風自体は会場に急接近ということはなさそうだが、影響によって雨は激しくなりそうだ。それでなくとも、西方面は連日の雨で地盤が緩んでいるところばかりで、会場に来る途中で土砂崩れに遭遇なんてことになったら一大事である。月曜日から検討を重ね、昨日には早々に決定をくだし10月18日に移すことにした。夏祭りをコンセプトにしていたイベントで、ギャルはゆかたで皆さんを迎えることにしていた。その他、諸々準備していたものが無駄になり、痛い損害を被った。
日本の美しい四季は文化とともに次世代に渡したいものだ。我々の日々の暮らしぶりが、ホンの微力ながら好転へと繋がることを意識していきたい。
夕立・・・雷・・・停電・・・。
少し早めの夕立は涼しくなりますが、少し遅めですと暗くなって懐中電灯の出番。
しかしそれよりテレビが使えなくて楽しみにしていた「マンガ」が見られないのが辛かった。
そうですね、昔は停電がよくありました。だから『北村テレビ商会』では懐中電灯はよく売れましたよ。
そうそう、ヒューズが飛んだと駆け込んでくるお客さんも多かった。昭和の電気屋には需要がたくさんあったのですよ。