ひまわりへの想い、今昔。

写真 1-1ほぼ毎朝、家の前にある公園でぶら下がっている。公園といってもキチンと区画された場所でなく、広々とした土手に遊具が置いてあるといった簡素なものだ。そこに区の職員さんだと思われる方がひまわりを植えてくれた。5月の中旬過ぎだったから、ちょっと遅くないかと思っていたところ陽当たり抜群の土手での成長はすごい。ぶら下がりの帰りに眺めてはグングン伸びていく様子に喜び、花をつけるのを楽しみに過ごしてきた。そして7月下旬に、こうしてキッチリと花をつけた。その後は次々に花が咲いている。

僕が育った実家は、4軒つながっている長屋で我が家は端っこだった。4軒すべての裏口へ回り込むための細い路地に面していて、そこには幅30センチほどの土スペースがあり、ここを使ってよく草花を育てた。春に種まきをして夏に楽しむ。定番の朝顔やホウセンカ、お袋が喜んだヘチマなどなど、近所の花屋さんで種を仕入れてきては、数種類を埋めたのだった。

細い路地だから陽当たりがよくない。朝顔とホウセンカはそれでもなんとかきれいに咲いてくれる。ヘチマは序盤で苦戦するものの、上へ上へと伸びていくごとに自ら陽当たりを確保して、途中から生き物が変わったかのようにグングンいく。放ったらかしにしておいたら屋根の上で実をつけたなんて年もあった。今だったらきっとゴウヤを植えることだろう。

ある年にトライしたひまわりは悲惨だった。細い茎であまり背も伸びず、やっとこさ付けたつぼみは見たことがないほど小さくて、それなのに茎が耐えられないから添え木をした。かわいそうだった。種をまいた自分を責め、無責任なまま植物を扱ったことを心の底から後悔した夏だった。

元気に咲いたひまわりを見る度に、貧弱ながら一生懸命に咲いてくれたひまわりを思い出す。今、毎日眺めていても、その後悔は変わらないほど心の奥底にこびり付いている。だからだろう、元気に育ち咲いてくれたことが、うれしさひとしおだ。

先日、世話をしている方がちょうど水をまいていたので話しかけた。
「毎日楽しみにしていたんです。見事に咲きましたね」
「2種類まいたんだよ。もうちょっとまん中が小さくて、花びらが長いヤツをね。(つぼみを指差しながら)きっとこれだな」
「そいつはまた楽しみですね」
植えてくださった礼を述べて、来年もと頼むと苦笑しながらどうかなとちょっと照れたように笑い、僕はそんな会話になんともうれしい気分にさせられた。たかがひまわり、されどひまわりに昭和40年男の心は揺れるのだった。

51Q8H4SCWFLそうそう、ひまわりといえばもう1つ心が揺さぶられるのがあった。吉田拓郎さんのかくれた名曲『ひまわり』だ。あまり知れ渡った曲でないかもしれないが、この詞と曲、歌唱はもし知らなかったら大損だったと思うほど惚れ込んでいて、僕にとっては拓郎さんの名曲5選に堂々入る。とくにこの詞の世界は彼でなければ表現できない、これぞっという世界観があって初めて聞いたときは衝撃すら感じたものだ。さっきまでの僕の想い出話に共感は得られないかもしれないが、こっちの『ひまわり』はきっと昭和40年男達に染みるはずだ。ちょうどひまわりの旬まっさかりですし、ぜひっ!!

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2件のコメント

  1. 鈴木ヤスさんが脱退に決まっていた5人のオフコースの最後の武道館ライブ。
    小田和正さんが涙で歌えなくなったのが名曲「言葉にできない」
    その時の映像が圧倒的なひまわり畑でした。

    • そのライブを観たのですか? なんだか感動的なシーンが想像できますね。

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