紫外線がよくないといわれ始めたのはいつ頃からだろう。もうずいぶんと年月が経ち小麦色の女の子はめっきりと減った。僕らの脳を女の子が支配していたハイティーンの頃は、アイドルだって夏はこんがり小麦色だった。聖子ちゃんカットに白い歯で微笑むクラスメイトのカワイイ天使たちには、夏が来る度にドキドキさせられたものだ。
僕が通った小学校では、2学期が始まるとすぐに『黒ん坊コンテスト』なる催しがあった。今にして考えるととんでもないネーミングで、しかも紫外線をバッチリ浴びた結果を競うのだから、現在だったら社会問題である。いやはや、時代の変化とは凄まじい。中学時代は、夏休みに入る前の最後のホームルームで「みなさん、日焼けで真っ黒になって2学期に会いましょう」なんて、先生からすてきな挨拶があったりしたほど、僕らは日焼けを推奨されて育った。そうそう、息子の母子手帳に日光浴をするようにとの指導があり、小さなチンチンを丸出しにして女房の実家の縁側で、カワイイ我が子を頻繁に干したものだ。そんな俺たちの時代は完全に過去のものになってしまった。今や母子手帳に日光浴の文字はないそうだ。
聖子ちゃんは、私は小麦色のマーメイドだと宣言していた。早見優さんの『夏色のナンシー』は小麦色の女の子でなければ歌ってはならない。シナロケは『ピンナップ・べイビー・ブルース』で夏は誰もがみんな小麦色と歌い、紙ふうせんなんか『冬が来る前に』の中で、小麦色に焼けた肌が色褪せると晩秋の季語として使っているじゃないか。小麦色、水着のあと、日焼けなんて言葉が彩った歌詞は、昭和40年男にとって夏のほろ苦い経験と一緒になって、想い出に残っているものが多いことだろう。
日焼けの思い出として俺たちの記憶、いや鼻にしっかりとこびり付いているのがコパトーンの香りだ。余談ながらこのサイトに登場するお馴染みの女の子は、すっかり美白になっている。僕らの時代は真っ黒の女の子で、犬にパンツを下げられて見えるお尻が真っ白だった。これも時代の大きな変化を感じるところだ。俺たち夏男にとってコパトーンとはこんがり焼くために用いたオイルで、日焼け止め効果のあるものなんか目もくれずにハードタイプを購入した。これで黒い肌を手に入れるのだと意気込んで太陽に勝負する。あまりに激しい戦いで、夜中に発熱することもしばしばあった僕だが、夏の来る度に果敢に勝負を挑んだものだ。あの香りが好きで、登校時につけてくるヤツも少なくなかった。コパトーンと熱を持った肌をクールダウンするシーブリーズの香りは、いつでもハイティーンの僕へと時間の旅を楽しませてくれる。
僕は今でも夏は太陽に挑む。紫外線が悪いのはシミだらけになってしまった肌を見れば一目瞭然だが、やっぱり夏は黒い男でいたいと願うのは、10代の鮮やかな想い出からだろう。昨今では夏になっても街は真っ白な女の子であふれていて、それはそれで美しいのだが、僕は今や絶滅寸前の小麦色の女の子が大好きだ。そして我想う。水着のあとを知らない男たちはかわいそうだなと。
昔働いてた会社は7月中旬くらいに「レクレーション」と称して1泊の海水浴があった。
ほとんど徹夜で民宿で騒いで翌日海水浴。
そして小麦色ならぬトマト色に日焼けして・・・首筋がものすごく痛かった。
僕がバイトしていた居酒屋では、夏になると営業が終わってそのままみんなで千葉の海に出かけました。ドンチャン騒ぎしてやがて陽が昇ると泳いで、めいっぱい遊んだら店に戻って、そのまま営業なんて弾丸海水浴をちょくちょくやっていましたよ。若さって素晴らしいですなあ。
こんがり灼けた水着のカノジョをバイクに乗せて走ったあの日。
あぁ懐かしい( ̄▽ ̄)
いいですねえ、バイクに水着の彼女。現在のバイク業界ではタブーですが(笑)。
恋かな Yes! 恋じゃない Yes!
愛かな Yes! 愛じゃない
風が吹くたび気分も揺れる そんな年頃ね