さあさ、みなさんお立ち会い。誌面連動企画の「3番勝負!」にはご投票いただけただろうか。今回は夏といえば彼らだろうということで、サザンオールスターズ対決にした。
今や国民的と呼ぶにふさわしいロックバンドで、広く老若男女から支持を集める彼らだが、サザンといえば誰がなんと言おうと昭和40年男のバンドである。他の世代がお怒りになるかもしれないが、僕は胸を張ってそう言い切る。それはなんと言ってもデビュー曲の「勝手にシンドバッド」のヒットが中1(1978年) だったからだ。“からだ” と断言されたところで、やはり他の世代の熱烈なファンのお怒りは収まらないだろうが、中1であの曲を『ザ・ベストテン』のスポットライトで見た衝撃ったら凄まじかった。歌詞はさっぱり聞き取れないが、なんだかものすごく勢いがあった。桑田さんはそれまで見てきたロックスターとはまったく異なる風貌と雰囲気を持ち、でもあのしゃがれ声と曲のよさにはぶったまげたのだ。何から何まで初体験させてくれた存在で、くどいがこのショックを中1で受けられたのは幸せ者だと胸を張っていいだろう。
僕はある日友人からシングルレコードを貸してもらった。ベストテンでその姿を見る前だったのだから、その友人はナウでヤングである (笑) 。正直な感想として、なんちゅうカッチョ悪い連中だとジャケットを眺め、なんちゅういい曲なんだと惚れ込んだ。そして『ザ・ベストテン』でその姿を見た時は、レコード以上のメガトン級の衝撃を受けたのだった。2曲目の「気分しだいで責めないで」は子供心に二番煎じを感じたが、その次のシングル「いとしのエリー」(’79年) にはまたぶっ飛ばされた。こんなカッチョいいバラードにこれまで触れたことがないと、これまた子供心にグサリと突き刺さったのだった。僕にとっては、「勝手にシンドバッド」がヒットチャートを駆け上がった頃と、洋楽にハマった時がシンクロしていて、洋楽の影響をキチンと昇華するとこんな曲が作れるのだと勝手に解釈した。後に自分でもギターをかき鳴らすようになると、この解釈は決して勝手なものでなく、自分も洋楽をキチンと学ばなければとイカンと精進したのだった。そして特に「いとしのエリー」は、それまでの日本の音楽にはないものがてんこ盛りだった。
初期の名曲であり、日本を代表する2大名曲と言っていいだろう。さあ、この勝負はどっちに票を入れる?
中学時代、硬派を気取っていた私も、武骨な世良さん派だった。
桑田さんの凄さがわかるにはもう少し時間がかかったなぁ。
そうですね。凄さを理解する年齢ではなかったですよね。世良さんは惚れるポイントがたくさんあった。
桑田さんドリフに入らなくて正解でしたね。w
『勝手にシンドバッド』は衝撃でした。しかし、第二弾は『いとしのエリー』とガラッと変わった感じに驚き。
後にもっと驚くことに。盗作疑惑。似てるといえば似てるし、偶然、雰囲気だけと言われればそうだし。
でも、次から次とヒットを飛ばし、国民的バンドとして不動の地位に。実は私、コピーバンドやってました。(仕方なくて=メンバーの多数決で)
ただ唯一ヒットしなかった曲:『東京シャッフル』をご存知だろうか?皆様!
『東京シャッフル』は名曲ですよ。僕は大好きです。ヒットチャートに興味が無くなっていなかった時代だから、ヒットしていないのを知りませんでした。
そうですね。中1のときにサザンが登場してきたのは衝撃的だったですね。(^^)
私も「勝手にシンドバッド」を聴いて、その後「いとしのエリー」を聴いてサザンに対する見方が変わりました。本物と。
今では押しも押されぬ大スターであるサザン及び桑田さんですが、中1~中2辺りに限ってみると。個人的にはサザンよりも同世代のバンドとしては世良公則&ツイスト(ツイスト)の方が人気があったように記憶しています。「あんたのバラード」「宿無し」「銃爪(ひきがね)」「性(サガ)」「燃えろいい女」とヒット曲を連発。短期的に一つの時代をクローズアップした場合と長期的に見た場合とではバンドの見方も違ってしまうような気がしました。
世良さんはホントにカッコよかった。『ザ・ベストテン』での活躍っぷりも素晴らしかったですよね。それと原田真二さん。