昨日は世話になった方の送別会だった。仕事の鬼と呼ぶにふさわしい男で、宴では去ることを忘れさせるほどの仕事話や業界への提言をひたすら続けた。たった11歳しか変わらないのかと、60歳を近く感じてしまうとは僕もずいぶんと年齢を重ねたものだ。
「1日中家にいて、女房と会話なんかできない」と笑う。仕事人生を送っている者にとってこれは共通の、そして大きな問題である。朝メシで顔を合わせて、仕事に出かければ帰宅するのは深夜で、土日だってまともに休みなんか取れない。ましてや昨日の主役の彼は高い役職にいて、まさにその通りにここ10年以上を過ごしてきた。昼間に女房と一緒に過ごすなんて考えられないから、なにか新しい趣味でも探そうかと笑う。絵画、釣り、楽器などなど話題にしながら、なかなか今からというのは難しい。
60歳の定年なんて、現在の長寿社会には適さない。これまでも何人かの定年を目の当たりにしてきて、もったいないと思うばかりである。いろんな問題が絡み合ってのことだから、紐解くことをここではしないが、情熱、実力ともにピカイチでウチの会社に来ていただきたいほどの、失礼な言い方になるが逸材である。そしてそんな方ばかりのお見送りが、ここ近年グーンと増えた。
お世話になった方だから、なにか気持ちの品を送りたいと考えた。本人が宴の冒頭で話題にした通り、奥さんとはまともな時間を過ごしていないことは容易に想像できたから、しめしめな贈り物になった。
「これからはコイツで、奥さんと仲良く食卓を囲んでください。これまではそんな時間を過ごしてこなかったのだから」と渡したのは、夫婦椀である。我ながらいいアイデアだった。銀座の三越に出かけて物色すること約1時間かけて、きれいに包装してもらった。目頭が熱くなるのを懸命に堪えながら「ありがとうございました」の言葉とともに進呈したのだった。
俺たちの時代には60歳の定年は今より緩和されているかもしれないが、制度によって社会に残るのではなく、必要とされていることを目指したい。我が社には今年69歳になる役員がいて、彼は社にとって、そしてバイク業界にとって必要な人間のまま現役続行している。昭和20年生まれのこの現役男も昨日の宴には呼んでいただき、約10歳離れた男の引退を惜しんでいた。
こんな先輩たちの仕事人生を聞き続けられた、すばらしい夜になった。だが、自分の仕事人生の引き際なんか考えることなく、まだまだ攻めこんでいきたいものである。