土日は家族サービスだったお父さんたちは、『昭和40年男』をまだ読めていなくてさぞ悔しいことでしょう。でも今日は誰にも邪魔させない。会社帰りに焼き鳥屋で一杯呑りながらじっくりと楽しんで頂戴。関東圏のみなさんは「浅草秘密基地」で一緒に騒ぎましょう。ではしつこい巳年だから今日もいかせていただく、大編集後記 (vol.25) じゃ。
各界で活躍するタメ年男のインタビュー企画の「荒海に生きるタメ年男。」は、フライングキッズのボーカリスト、浜崎貴司さんに登場していただいた。20代の前半でデビューしたタメ年男が、以来ずっとプロミュージシャンとして歩んできた人生とはどんなものだろうか。その苦労や葛藤がにじみ出ていて、己の人生に役立つこと間違いない言葉の数々が踊るページとなっている。
数々の人気バンドを輩出して、深夜ながら高視聴率を誇った『平成名物TV』のオーディションコーナー『三宅裕司のいかすバンド天国』で、初めて彼らを見た時は衝撃そのものだった。当時の僕は、ライブハウスでの演奏を繰り返しながらメジャーデビューを夢見ていたバンドマンで、この番組はほぼ欠かさずに観てい
た (ちょいと余談になるが、高校の同級生で創刊号にも登場してくれた三味線奏者の塚原勝利は、この番組にザ・家元というバンドで出場している) 。いろんなバンドを研究しながら番組を観ていた僕なのだが、感心させられることはあるものの自分のバンドもなかなかのものだと自信を持つことが多かった (バカなうぬぼれ) 。だがフライングキッズの「我想うゆえに我あり」を聴いた時は、完全に白旗をあげた。なんじゃこのバンドのグルーヴと曲のすばらしさは。そしてなんと魅力的なボーカリストなのだろうと。でも当時は年上だと思っていたから、いつか追いつくぞなんて拳を握りしめたのだが、この雑誌を始めてから知ったタメ年男だった。あの時にタメ年だと知っていたら、完全に自信喪失していただろう、ああよかった (笑) 。
その浜崎さんが、僕の作っている雑誌に登場してくれるなんて、当時の自分は夢にも思っていない。むしろジョイントでライブをやることの方がよっぽど想像できた僕だが、人生ってヤツはおもしろいものだ。
キャリアを重ねていく自分を語り、今を語ってくれている後半部分は、タメ年男たちに響き渡るはずだ。まだご覧に買ってない方々は、今すぐ書店へと駆け込んでほしい。コイツを読まなきゃ人生損するぞ。