今日は母の日ですな。生きてるならば親孝行、逝っちまってたらお線香と、いずれにせよお袋さんに感謝の気持ちを持ちつつ『昭和40年男』の最新号で楽しい1日にしましょう。それでは本日も大編集後記といかせていただこう。
昭和40年男が生まれた年に始まった読売ジャイアンツの快進撃は昭和48年まで続いた。俺たちは小学2年生まで、セリーグ優勝は巨人だけで過ごしたということになる。今回の連載特集『夢、あふれていた俺たちの時代』は昭和48年を取り上げているから、当然ながらこの偉業をピックアップした。インタビューに答えてくれたメンバーがスゴイぞ。ご存知、背番号18番の堀内恒夫さん、史上最強の5番打者の柳田真宏さん、さらにこの翌年にV10となるのを阻止した証言者として、中日ドラゴンズの大島康徳さんだ。おおっ、素晴らしい。全6ページのインタビューは、巨人ファンならずとも必見ページとなっている。
昭和48年の10月22日のことだった。勝つか引き分けでタイガースの優勝となる、ペナントレース最終戦の直接対決を記憶しているか。僕はクラスメイトと学校のテレビで見た。先生のお許しが出て、授業中から放課後までテレビをつけて観戦会にしてくれたのだった。みんながみんなジャイアンツの応援をしていて、僕も最初はそうだったのだがなんだかあまりにも偏った応援に、徐々にタイガースがかわいそうになってきた。ワンサイドゲームになってしまったこともあるだろう。この日をから僕はトラキチになり、やがて大人になるとデイリースポーツを読むダメな人間になってしまったのだ。
息子もタイガースファンに仕立てて、あるジャイアンツ戦を観戦に行った時のこと。その日は快勝だった。よせばいいのに、東京ドームからタイガースのマスコットバットを振りながらドームを後にして、JR水道橋駅でその事件は起きた。息子がひと言「父ちゃん、今日はよかったよね」と言った瞬間、後ろからジャイアンツファンに絡まれた。観戦帰りで駅は人でごった返していた。人でというより、ジャイアンツファンでごった返していた。完全アウェーの中にいる女房を含めた3人家族危うし。完全に血が登ってしまった僕は、絡んできたジャイアンツファンと顔を突き合わせていた。右手は息子と繋がっていて、左腕を女房がしっかりと握っていた。「やめて、やめて」と悲痛な声を上げているところで、徐々に大きくなる4人を取り囲むジャイアンツファンの輪の中心で、内心こりゃあまずいぞと思っているものの、絡んできたファンへの鋭い眼はもうやめられない。と、そのとき駅員さん数名がその輪に割って入ってきて、一触即発の直前で僕らを引き離してくれたのだった。V9となんの関係もないように思えなくはないが、すなわち、あの日の学校でのテレビ観戦がなければこんな怖い思いはしなくてよかったのだと言いたい。なんのこっちゃ(笑)。
そんなバカモノの話はさておき、この6ページは本当に必見ですから、まだ購入していない方は今すぐ書店にGoだぞ。