昨日書いたとおり、日曜日は新潟県の苗場でイベントがあった。
それを利用して先行で乗り込み、少し足を延ばしての長岡で取材を組んだ。
仕事を終え長岡駅前に行くと、米百俵祭りというイベントが行なわれていたのでちょっと見学してみた。
朝からさまざまなプログラムがされていたようだが
俺が参加できたのは5時をまわったところでもうフィナーレに近かった。
着いたときに行なわれていたのは、米百俵の精神を伝える寸劇だった。
恥ずかしながらこの話を知らなかった俺は深く感動し、ちょっといい気分になった。
続いては、郷土の偉大な先人たちを紹介するコーナーで
これは地元の名士たちが扮しての登場するというユニークなものだった。
最後は市長と大河ドラマ繋がりでゲストとして来ていた徳川家康、じゃない、
演じた松方弘樹さんがそろって舞台に上がり挨拶を述べた。
市長の言葉を聞いていて思ったのは、観光客相手というより地元長岡市民の意識高揚と取れる言葉だった。
事実最後には参加者に長岡市としてのかちどきをうながし、みなさん勇ましいかけ声で右手を振り上げていた。
地方都市に元気がない。
幸せなことに取材でアチコチに行けるからそれを確認させられることが多い。
でも、このかちどきを眺めているとそんなのは東京人の上から目線なんだなと反省するとともに、
なんとも深い感動につつまれてしまった。
さらにさらに、さすが長岡だねえ、少ないながらも最後には花火が上がったのだから。
うーん、思いもかけず、ホントに得しちゃったのである。
米百俵の精神についてカンタンに触れてみよう。
戊辰戦争で大敗した長岡は焼け野原となってしまった。
そんな中で、時勢に遅れないよう、時代の要請にこたえられる学問や芸術を教え、
すぐれた人材を育成しようという理想を掲げ、学校を開校し理想へと力を入れたのだった。
石高は7万4千石から2万4千石に減らされ、食べるものにも困るような財政を強いられたという状況下でだ。
長岡藩の窮状を知った三根山藩から、米百俵が見舞いとして贈られたのである。
この喉から手が出るほどほしい米百俵を、藩の大参事小林虎三郎は
若い藩士たちを説得し、文武両道に必要な書籍、器具の購入にあてるとして米百俵を売却し、
その代金を教育のための資金に注ぎ込んだ。
このときの判断こそが、後に繋がる米百俵の精神だそうだ。
ねっ、いい話でしょう。
この精神を後世に伝えるという意味では、やはり市民向けなんだろうな。
でも、俺にもいい土産になりましたよ、ありがとうございました。