昨日はヤマハ発動機が母体の公益財団法人『ヤマハ発動機スポーツ振興財団』による、『スポーツチャレンジ賞』の表彰式に出かけてきた。この財団のスローガンは“スポーツを通じて、夢の実現にチャレンジする人を応援する”というものだ。このスローガンだと、トップアスリートによる最高峰の挑戦を取り上げて応援するように感じられるが、そこは感動創造企業を掲げるヤマハ発動機はひと味違う。アスリートだけでなく、指導者や研究者といったスポーツに関わるすべての人々を対象にしているのが大きな特徴で、これまで多くの人の夢に賭ける情熱を後押ししているのだ。この他にもさまざまなスポーツ振興を支援する活動を行なっていて、そのひとつに、年に1度の『スポーツチャレンジ賞』の選考がある。
選考基準がまたこの財団らしい。「スポーツの振興に多大なる実績を残し、その功績によって社会の活性化に貢献した人物や団体」としている。ここまではアタリのよい言葉でしかないが、付け加えて「これまで注目を浴びることの少なかった“縁の下の力持ち”的な人物や団体にスポットをあてる」としているのだ。意図しているところは、今回の受賞者を知っていただければ理解いただけるだろう。
選出される2組うち、1つは功労賞として、長年にわたるスポーツ振興への貢献や、先駆者としての実績をあげたチャレンジで、今回は臼井二美男氏が受賞した。ちょうど10歳年上の彼は、スポーツ用の義足開発の第一人者として、足の不自由な人々に走る歓びを提供するために、日夜努力と挑戦を続けてきた人物である。かつての日本では、義足とは生活のための必要最低限のツールでしかなかった。もともと装具士として働いていた臼井氏は、ある日義足のアスリートと出会う。その“走る”姿に衝撃を受けたことを契機にスポーツ用の義足の開発を始めたそうだ。30代の半ばのことで、以来25年に渡って研究開発をコツコツと続けてきたのだ。その傍ら、切断患者対象の陸上クラブチーム『ヘルスエンジェルス』を創設して、走る歓びを多くの人々に感じてもらい、パラリンピック選手を多く輩出した。そのなかには、東京オリンピック・パラリンピックの最終プレゼンで感動のスピーチをした佐藤真海さんもいる。今では世界のトップアスリートの多くが氏の義足を装着するにいたり、これからもより高いレベルを目指し研究開発を続けていくとのこと。受賞のコメントで語っていた「選手と一緒に作り上げていく」という言葉が印象的だった。職人らしい凛とした雰囲気をまとった、男が憧れるカッコいい男だった。
もう1つは奨励賞である。「今後のスポーツ振興に大きな影響力が期待され、極めて高い成果をあげたチャレンジ」とされている。こちらは東京 2020 オリンピック・パラリンピック招致委員会 戦略広報部が受賞した。これもまさに“縁の下の力持ち”的な方々で、ありとあらゆることに全力で取り組んだ結果の招致決定だった。そのなかで、彼らが大きな課題としたのが2点ある。ひとつは2012年の5月の時点でわずか47%だった国内支持率を上げることで、ロンドンオリンピックの終了後に展開した銀座パレードやピンバッチの配布など、あの手この手のPR活動を展開して、2013年の1月には73%にまで押し上げたのだからすばらしい。また、なぜ東京で開催するのかという理念を組み立てて、高らかに宣言した。それは、東日本大震災でスポーツの力を認識した点を強調することだった。多くのアスリートが被災地支援を行なった日本だからこそ、オリンピックの価値を次世代に継承することができると訴えたのだ。これ以外にも苦労は絶えなかったそうだが、最良の結果を得た彼らが誇らしげに胸を張る姿には、チームでひとつの目標へと突き進んでいくことのやりがいと達成感がじみ出ていた。招致のファイナルプレゼンテーションで、これまた記憶に鮮明に残っている水野正人さんがお祝いのスピーチをして、あの日のまんまの明るい声で会場の空気を変えたのは見事だった。
広く知られた存在ではないが、この『ヤマハ発動機スポーツ振興財団』の活動にはいつも感動をもらっている。今回の受賞を喜ぶ2組のサポーターのみなさんの笑顔と気持ちが終止会場を包み込んでいて、人間の情熱が結果を生み出すことのすばらしさに、僕の心はポカポカと暖かくなりっ放しだった。
昨日はこうして表彰を取材させてもらう立場だったが、今日は午後から自分がいただく番だ。僕が会長を務めている活動の『Love the Earth』が「みどりの日」自然環境功労者環境大臣表彰者に選出されて、いよいよ今日が表彰式なのだ。朝からチョッピリ緊張気味の小心者である。