沢田研二と一風堂の昭和57年対決!!

誌面連動企画の『3番勝負!』にはご参加いただけただろうか? 今回の対決は日本のテクノポップから3発で、今日は最終戦となる 昭和57年のヒット曲対決を解説させていただこう。…と、その前に関西のみなさんにお知らせだ。こんなイベントを今夜行なうから、ぜひ遊びにきていただきたい。ヨロシク!!

1403_3ban-05昭和40年男にとって最も馴染み深いシンガーといえばジュリーだろう。なぜジュリーは長きに渡ってトップシンガーとして君臨したのか。いくつかの要素がある中でも、常に変化し続けたことがもっとも大きなポイントではないだろうか。タイガースとPYG の2つのバンド時代から、ソロシンガーへとまず第一弾の大きな変身があった。そして「勝手にしやがれ」の超メガヒットにより、トップランナーとして常に斬新さを求められる存在になり、自らもきっとシングル一曲ごとに異なる沢田研二を演じることを命じたのだろう。そして俺たちの度肝を抜いた「TOKIO」以降は、カッコよさだけでなく圧倒的なエンターテインメント性までも入れ込むようになり、さらには「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」から、バックバンド EXOTICS の強烈なロックサウンドをバックに、叩きつけるように歌うロックの時代へと、それまでと決別するような変身をした。そうした激しい変身を、俺たち昭和40年男は見守り続けた幸せ者である。

強烈ロック時代のジュリーの楽曲のなかで、テクノエッセンスをもっとも取り入れたシングルが「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」である。個人的にも好きな曲のひとつで、カラオケでは「おまえにチェックイン」や「涙のラブレター」とともによくリクエストする。テクノのテイストだけでなく、さまざまな音楽の要素を入れ込んでいて、日本の音楽が短期間でものすごくレベルアップしたことを感じさせる好演であり、僕は ’80年代初期の名曲の一つに数えている。

1403_3ban-06相対するのは、一風堂の「すみれ September Love」で、ヒットした時期は「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」と重なっていたと記憶している。スゲエバンドが出てきたなと歓喜したのは、土屋さんの変態的とも言えるギタープレイによるところが大きい。このハイセンスは、YMOの影響が少なからずあるだろうと当時の僕は確信しながら、やはり日本の音楽の力が格段に高くなったことを感じた。リズムも日本のバンドっぽくないカッチョよさで、バイオリンをフューチャーしたりと新しさにあふれていた。

後にSHAZNAがカバーして大ヒットさせたのも記憶しているだろう。古さを感じさせない楽曲で、今でも十分通用する、「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」同様 ’80年代初期の名曲だ。さて、どっちの化粧が好きだ… じゃなかった。昭和57年の名曲の軍配はどっちだ?
 

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