大編集後記その拾:「イッキ! イッキ!」はご開帳!?

イッキ第2特集となる『夢、あふれていた俺たちの時代』では今回昭和60年を取り上げた。そのなかで、流行語大賞に選ばれた「イッキ! イッキ!」のかけ声で繰り返されたイッキ飲みを検証している。僕にとって「イッキ!」の想い出は…、ご開帳っす(笑)。

高校3年生のときに、当時組んでいたバンドのタメ年ギタリストと一緒に、年齢を2つ上にごまかした偽装履歴書で居酒屋にアルバイト入店した。今考えるととんでもないことだが、一時だけ昭和38年男に変身したのだ。もっとも入店後しばらくして偽装はバレた。店長からこっぴどく叱られはしたものの、その時点である程度の戦力になっていて、もうすぐ18歳を迎えるからと勘弁してくれた。当時ちょうど流行し始めたいわゆる大型居酒屋で、上野だけで何店かをチェーン展開する会社の店舗だった。昭和58年のことだから、今回の特集記事によるイッキが流行語大賞となり、一方でイッキ飲みが社会問題となった2年前のことになる。この店ではすでにイッキ飲みは大ブームになっていて、とくに学祭の打ち上げとなるとすさまじかった。

いろんなかけ声がまだ開発される前で、シンプルなかけ声で始まるイッキコールが響き渡る。そして宴が始まって1時間もするとトイレに駆け込む者が増え、やがてトイレに間に合わない者は畳の上で吐く。大学生とはとんでもない人たちだと始めこそ面食らったが、人間の順応力はすごいものですぐに慣れた。だが、その後も店で語り継がれることになった“イッキ飲みご開帳事件”のショックだけは、きっと何度あったって大興奮だろう(笑)。

数十人の大きな宴会で、例のごとく大騒ぎが展開されていた。当時の宴会においてオンナの子の参加者は少数で、つぶされるターゲットになりやすい。この日もそうで、1人の女性が完全にグロッキーとなり、鍵を締めたままトイレで気を失ってしまった。それを救出しようと男たちか立ち上がり、小柄な1人の男がトビラを登ってトイレに入り込んだ。4人の男がそれぞれに四肢を担当してトイレからの救出作戦は無事成功した。と思いきや、出てきたときのオンナの子はなぜかご開帳状態で、その姿を大勢の客にさらす大サービスぶり…、じゃなかった、大醜態となってしまったのだ。高校生の僕は、当時の女子大生ブームも含めて大学に大きな夢と憧れを描いたのだった。イッキブームはそんな想い出を僕にもたらしてくれたのである。

当時は高校生と思われる若いのもあまり気にせず入店させていた。その後、イッキ飲みによる死亡が報道され始めてやっと年齢チェックを始めたのが、おそらく昭和60年頃だったと記憶している。結局、高校生は厳重なチェックによって入店できなくなったものの、大学生は10代でもOKというヘンテコなルールが確立した。店は夜な夜な学生たちを受け入れては、泥酔者たちを街へと放ち続けたのだ。

今回のページの締めくくりで述べられた、チェーン居酒屋とイッキ飲みの因果関係はちょいと耳が痛かった。飲みすぎた客には酒を出さない。かつてはそれが当たり前だったのに、居酒屋のチェーン化が進み、客との距離が近い店が減っていったとある。まさにイッキ飲みを容認していた店だった。

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で

1件のコメント

  1. 昭和40年生まれの犯罪自慢かwwwww

コメントは受け付けていません。