うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。
残念なことに巨大に見えた音楽関連の専門学校広告マーケットは
新参者をあたたかく迎えるほど甘くはなかった。
だったら販売の方で勝負せねばと、自分の気持ちを入れ始めたのが第3号目だった。
ミュージシャン養成に振ってみた。
タイトルには“宣言!! バンドで成功してやる”として、バンドにまつわる入門誌にしてみたのだ。
これはそこそこの評価となり、自信とつくりの面白味が出てきた。
そして“コトバのチカラ”というタイトルで詞にまつわる特集を組んだ。
自分にとっては『昭和40年男』同様、やはり4作目で最高傑作をつくったと喜んだのだが
結果は惨憺たるものだった…。
1〜3号は、絶好調とまではいかないものの堅調に推移していたのだが
4作目にして完成した俺の最高傑作はミュージシャン志望の若者にはまったく受け入れられなかったのだ。
雑誌を作ってきて、これほど大きな敗北感は初めてであった。
しかも、たちの悪いことに
「この第4号で完成した世界観がマーケットに受け入れられないはずはない」
と勝手に思いこみ、そのテイストのままでイケイケドンドンな俺になっていた。
第5号を“年齢の壁”なる、ミュージシャンとして生きていこうとする若者に説教まで始めてしまったのだ。
設計図がほぼ完成し、取材もかなり進行していたときに先の情報が入った。
「“コトバのチカラ”号がまったく売れていません」
「そんなわきゃーねえだろっ」
これまでだって、自分のつくった雑誌がすべてウハウハな訳じゃない。
ただこの4号は自信を持って打ち込んだ最高傑作だった。
今見ても十分にいいできだと思うが、そこに市場がなかったということだ。
買う価値がなかった。
結局、手をつけていた5号の制作にもブレーキが効かず
5作目となった“年齢という壁”号もひどい結果となった。
これも自身としてはいいできだと今も思っているが
マーケット無視のマスターベーション本だったということになる。
悲しく続く。