出版社として歩んだ10年。〜音楽雑誌をつくるのか?〜

うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。

L+bike、Under400、風まかせというニッチ3兄弟を世に送り出し、
バイクに関してはこれ以上ブランドを増やすよりは
熟成方向だろうという局面を迎えた感があった。
もちろんチャンスはうかがいながらも
これだけのマーケットを創造し突き進んできたのだからと頷くのだった。
単発ものの臨時増刊(総集編とかそんな類)を打ち込む努力はするものの
定期刊行はやや狙いから外した。
ただ、バイク業界に対しての不安感があった。
バイクが年々売れなくなっていて、それは今現在も続いている。
とくに若者に支持されないうえ、その若者がこれから減っていくのだから。
草食系という言葉は適切とは思えないが
傾向として車やバイク、ギターなどの俺たちの世代にとって絶対的な存在だったものが
選択肢の一つに過ぎないという時代へと移行中ど真ん中である。
このままバイクとだけ付き合っていてもだめだ。
大切にしながらも、なんらか別の柱が必要だと常々話してきた。

そんな折、雑誌名『音で喰え!』という、
強いタイトルが表紙になった企画書が持ち上がった。
企画立案者が目をつけたのは、音楽関連の専門学校が熱いということ。
昔に比べてギターは売れていないものの、バイクよりは落ち幅は低い。
また、自分のやりがいを求める世の中において、
音楽プレイヤーという夢は根強く存在しているのだ。
プレイヤーだけでない、照明さんやミキサーさんといった裏方の仕事でも
音楽に関わる仕事という意味で支持されていると。
企画立案者の書類はそうたたみかけるのだった。

「よし、それGoだね」となった。
が、誰がつくるということになると突然トーンダウンする俺だったのだ。
立案者たちによると俺がつくることになっている。
「ム、ム、むりっ!!」
激務の日々が続いていて、このころは仕事の整理を強いられていたほどだ。
そこに創刊が加わるというのは考えられない。
しかもこれまで経験のない異ジャンルであり、
ターゲットは10代後半なのだから
40歳を超えたおっさんがやるもんじゃねーだろと反論した。
だが結局、押し切られてしまったのだ。

実はここに至るまでよく口にしていたことだが
音楽雑誌だけは作れないと思っていた。
近すぎるのだ。
少々距離感があるというミーハーな方が、雑誌を読む人間の感性がわかるという持論だ。
プロゴルファーよりも、90くらい叩いちゃう人の方が
痒いところに手が届く感じがするでしょ。
だからね、禁断の果実を無理矢理口に突っ込まれた気持ちだったのですよ。

続くのじゃ。

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