更新を機に引っ越そうと計画している。
と同時に、ふとこれまでの居住地を振り返ってみると、けっこう動いている。
どの土地にも愛着とか染み付いている想い出があり、
それはその時代時代を象徴するものである。
生まれ育ったのは東京都のダウンタウンを代表する荒川区だ。
ここの風景は『昭和40年男』の雑誌表現にとって、もっとも色濃いものかもしれない。
仮面ライダーごっこや缶蹴りをした路地裏は、いまもほとんど姿を変えておらず
実家に帰ればすぐにタイムマシーンに乗ることができる。
実家である長屋もそのままだし、バブルの後遺症もほとんどない。
三丁目の夕日のロケで、そのまんま使えるではないかというほどの取り残された街である。
20歳になろうという直前の春に、俺は1人での音楽人生を求めて旅に出た。
大阪は神崎川駅の近くにあるオンボロアパートにたどり着いたのだ。
1年ほど前、仕事の合間に行ったことがある。
住んでいた25年前とほとんど変わらず
駅前のバイトしていた喫茶店や世話になった商店街も健在だった。
思い出すのは生まれ育った街を捨ててひとりになったほろ苦さとかだな。
銭湯の帰りにコンビニでビールを買って帰り
テレビも冷蔵庫もない部屋で音楽のことばかりを考えていた。
うん、この時代がなかったら今の自分はないな。
やがて所帯を持ち、千葉県松戸市に一軒家を借りた。
引っ越して以来、ほとんど行っていないからどうなっているのかな?
ここでは初めて構えた家庭に、仲間がジャンジャン遊びにきてくれて、
パーティパーティな日々だった。
笑いにあふれた日々だね。
息子の小学校入学を機に、大田区の蒲田に引っ越した。
ここでは人生最高の“マスオさん”生活で、幸せな至れり尽くせりな毎日だった。
小さな庭でバーベキューをしていると義理の母がビールを運んでくれちゃったりして。
サイコーだったのだよ。
そして今住んでいる街で、ご近所付き合いというヤツをほぼ初めて経験した。
駅前でご近所の方と呑む。
これは大きな成長とでもいえばいいのかな。
多摩川の土手が目の前に見え、ベランダでゆったりとした気分を味わえる。
人生でもっとも激務の時代に突入した自分にとっては、偶然ここを選んだとはいえよかったよ。
住めば都というけれど、まさにその通りだと頷いていたりする。
どこの街もそれぞれに記憶の中で輝いているものね。
さてさて、次の街はどんな輝きを提供してくれることやら。
いったい俺は、あといくつの街に住むのだろうか?