昨日発売となった最新号の売れ行きが気になる。どうなっていることやら…。では、今日も元気にPRを兼ねて内容を紹介させていただく、大編集後記を書かせていただこう。今回は“野球”を特集していて、多くのタメ年にご登場いただいている。その1人が与田 剛さんだ。
中日のストッパーとして大活躍した彼の勇姿は、強く記憶されていることだろう。入団1年目のシーズンに4勝5敗31セーブを挙げ、新人王と最優秀救援投手賞を獲得した。前年までは郭投手が絶対的なクローザーとして活躍していたが、1990年のシーズンはケガで2軍スタートとなっていた。その穴を与田さんが完璧に埋めた結果、一軍復帰した郭投手は先発に回ったのだった。
華々しいデビューとその後のWBCでのコーチや野球解説者としての活躍から、タメ年として誇らしい男の1人である。だが、彼の野球人生は苦難の連続だった。そんな野球人生での紆余曲折をたっぷりと語ってもらったインタビューは、昭和40年男の巳年らしいしつこさ(!?)を感じられるすばらしいページになっている。
実は与田さんとはちょっとした接点がある。僕の親戚で高校卒業時と大学卒業時にドラフト指名を受けた森選手がいて、親戚中のチョットした自慢だった。ケガしがちだったことからプロは断念して、ノンプロの社会人野球に身を投じたが、その世界では名門の電電東京、後のNTT東京に入団してエースとして活躍した。背はあまり大きくないが、重たい球をガンガン投げ込む姿に僕はしびれたものだ。社会人野球にとっての甲子園にあたる都市対抗野球にほぼ毎年出場していたから、これには一家そろって応援に出かけたものだ。僕にとっては、テレビで見るプロ野球と甲子園、そして真夏の後楽園球場で見る都市対抗が野球の原風景である。森投手はやがて、NTT東京の監督となった。そして与田さんが社会人野球で過ごした2年間は、森さんの世話になったというじゃないか。
この事実は知っていたが、インタビュー当日になんと与田さんの仲人まで務めてもらったと聞き、さらにいい監督だったと褒めていただきついうれしく舞い上がってしまい、与田さんに「森 二郎は親戚なんですよ」と告白してしまった。この偶然には彼もビックリしていた。もちろん、このコネがあったから取材に至ったわけではないし、そのコネも使っていない。純粋にタメ年の元プロ野球選手であり、引退後は指導的な立場で活躍していて、解説者としてもインテリジェンスを感じられるからだ。森さんとは2年前の葬式以来、会っていない不義理で、この本を持って久しぶりに会いに行ってみようかなと考えている。
さて、与田さんのインタビューだが、その粘り強い野球人生での興味深い言葉の数々が踊るいいページになった。巻頭を飾る誌面全体から名言を集めてつくっているページ『FEATURE WORDS』では、山本昌さんのひと言と共に、特大扱いにさせてもらった。タメ年男たちに向けたその言葉とは「チャレンジした以上は、絶対に失敗したと言ってほしくない。」である。昭和40年男にとっては、これからを生き抜くために必要な言葉だ。
さあ、まだご覧になっていない方は書店・コンビニへと走ってほしい。買う価値を感じていただけたら、まだ消費税が5%の今のうちにゲットだ(笑)。