3月11日に発売となる次号、vol.24は野球を特集した。作業しながらアレコレ思い出を引っ張り出しては味わっている。僕の小学校では、野球のうまさがそのままクラスでの地位に繋がっていたほどのキング・オブ・スポーツだった。休み時間になると『挟みっこら』と呼んでいた遊びに汗を流す。きっといろんな呼び方があるだろうが、みなさん経験していることだろう。ベース2つを守る2人の守備担当と、それ以外はその間をひたすら走るという単純な遊びだ。6年生になり、校内でもっとも力を持つ学年になると、校庭を広く確保して手打ち野球だ。放課後はグローブを持って空き地に行けば、すぐさま野球が始まった。僕らからおそらく5つも下になるとサッカー少年が増えたようだが、僕らの小学生時代にサッカーに夢中になっているヤツなんてごく少数だった。とにかく、野球・野球・野球の日々を、みんなが過ごしたのだ。
日曜日も朝から晩まで野球で、多くのクラスメイトはチームに所属していた。その頂点にいたのがリトルリーグで硬球を握っているヤツらだ。日曜日の夕暮れどきに、空き地野球を終えた帰り道で同級生がリトルリーグのユニフォームを着込んだ姿を見るとなんともうらやましく、またカッコよく思ったものだ。当時のリトルリーグは、入団試験を受けて合格した者だけが入団できるエリート集団だった。その彼らが持っていたのが、写真のローリングスの硬式グラブで、これまた憧れの中の憧れだった。ちなみにこれは借り物で、今回の特集でなんらか使えるかと会社に持ってきていたのだが、結局誌面には使わずじまいでこうして登場させている。そんなごく一部のエリート以外は、試験なしの軟式チームに所属するか、僕のような空き地野球で、おそらく日曜日に野球をしていない者はクラスに数名だったように思う。凄まじいまでの占有率だった。
僕は運動神経が鈍くて、軟式チームさえも高嶺の花だった。そこで空き地野球の連中をかき集めて、弱小チームを結成したのだ。チーム名を付けて、水土日と週に3回の練習をすることにした。どんどんのめり込んでいき、懸命になって打ち込むようになった。夏休みには朝練なんてのも頑張り、メキメキ上達していくのが自分でもわかって快感だった。鈍い運動神経でも、努力である程度はカバーできることを知ったのだ。中学ではもっと上のレベルを目指して野球部に入り完全燃焼する予定だったが、なぜか先輩から目をつけられてしまい、情けないことに絶えることができずに退部した。もし踏ん張っていたら、今頃ドラゴンズの昌さんとともに投げ合っていたことだろう(笑)。
中1までの短い野球人生だったけど、立てなくなるような辛さや、流れしたたる汗の気持ちよさを知ったことは、後の人生におおいに役立っている。仲間との真の友情とか、努力で届かない悔しさや勝利のうれしさ、チームが時折見せる爆発するような勢いなんてのも自然と身に付いた。後に組んだバンドがどうも体育会系だったのは、この経験が強く影響していると思う。加えて、バンドスタート時の6人のメンバーの内、3人が僕と一緒の青空チーム出身者なのだ。野球で得たかけがいのない友は、そのまま互いに影響しあい、音楽をプレイすることまで一緒に始めたのだった。そしていまだに酒を酌み交わしている友である。野球が僕の人生にもたらした影響はとてつもなく大きく、出会えたことに感謝すらしている。その特集なんだから、売れてほしいなあ(笑)。