次号特集発表!!

グロープさてさてみなさんお立ち会い。今日は大安吉日で、このいい日に次号の予告を始めない手はねえってことで、次号の特集を発表させていただこう。夕べの操作ミスでまるで僕が1日に2回もぶつくさ書いていると誤解されそうに並んでいるが、ジュリーの話は夕べのこと。今日の吉日発表をキチンと狙っていたことからも、嘘じゃねえってのがわかるだろ。じゃあ行かせていただきましょう。次号、3月11日発売となるvol.24の特集は写真のとおりグローブだーっ!! 嘘です(笑)。いくらなんでもそこまで絞り込んだら、読者さんが逃げちまう。次号の特集は、野球だーっ。

現在の連載企画『荒海を生きるタメ年男』の前身となる『タメ年のスゴイやつ』に、当時ライオンズ監督だった渡辺久信さんに登場願った日から、今日ここにいたることは思い描いていた。記念すべき創刊号で、冒頭ページを飾ったのである。さらにこのページのド頭に採用したこのコメントから、野球特集を組む日が始まったのだ。
「俺たちの時代って、ほら、選択肢がなかったじゃないですか。ちょっと運動神経がよかったり、同級生と比べて体が大きかったりする子はみんな野球をやった。というか、野球しかなかったよね」と。この言葉を聞いて僕が膝を叩いて喜んだのは、僕の地域もこういう昭和40年男ばかりだったから。こんな風に、時代の空気を偉大なプロ選手と共有できたのは、まだ藁をもつかむ状態だった『昭和40年男』にとって大きな収穫だった。そしていつか早い段階で野球特集を組もうと誓ったのだが、そこへ至らなかったのは実力不足と言えばいいのか、思ったより難しかったのだ。

やっと取り組めるようになったのは、この渡辺さんのコメントに立ち返ってのことだ。運動神経の鈍かった僕でさえ、野球には夢中になって取り組んだ。少年期の遊びにも、なにかしら野球要素が入っているものが多かった。野球めいた遊びにまったくふれなかったという昭和40年男はほとんどいないのではないか? 甲子園やプロ野球といった、見る野球からだって学ぶ部分は多くあった。チームや部活での根性注入なんてのも、今になってはいい思い出だ。と、いろんなコンセンサスを見出して、今回の特集となったのだ。詳細はまだいえないが、もう間もなく完成となる最新号に、乞うご期待ですぞ。

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2件のコメント

  1. そうですね。
    ぼくも運動神経は鈍かったけれど、野球を見るのは好きでした。
    友達も親切に教えてくれたし。
    あの頃は阪急ブレーブスが大人気でした。
    何しろ地元の阪急沿線なので(京都線の上○○に住んでました)。
    黒地に赤のHマーク、欲しかったけど買ってもらえなかったですね。
    親父が阪神ファンだったのです。。。

    • ハハハ、ウチの親父はバリバリの巨人ファンで、その反作用で僕と弟はタイガースでした。

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