大騒ぎしてきた、昨日は最新号の発売日だった。
というわけで、大型書店を中心に数店ではあるが回ってみた。
そしてこれから書きつづっていくことは、今回だけでなく普段から感じることが多いことである。
発売日の数日前に刷り上がった本は、問屋さんからトラックで全国へと運ばれ、
読者さんとの出会うために棚に入る。
書店さんはこの棚からいかにレジに運んでもらえるかが勝負なのだから、
より多くの人に手にとってもらえるように努力をする。
店員さんは内容のキッチリと確認して、ベストな場所に置くのだ。
が、中にはただ並べるだけの書店がある。
時間をギリギリまで使い、45歳の体力と知力(足りないが)をフルに使い、
懸命になって仲間とつくりあげた一冊の本である。
たとえばね、結婚記念日に旦那の喜ぶ顔を思い浮かべながら、妻が料理を作るのですよ。
「遅いなあ」なんて待って待ち続けて、
やっと帰ってきたと思ったら今日は呑んできたから寝るってね。
愛情を込めて作り、腹ぺこで待っていた奥さんは
1人でちょっとだけ食べて、でも悲しくなっちゃって棄てるのですよ。
なんかね、そんな妻の悲しい気分のような想いをさせられる。
「弱小出版社の無名の雑誌だろ。どうせ売れないんだから棚に差しときゃいいか」
とか、そんな声が聞こえてくるようなんです。
棚に差されてある本を、わざわざ引っ張り出して読む確率が、
平積みに比べてどんなに低いかはみなさんも想像付きますよね?
発売日にそんな目にあった自分の分身を見ると、ホントに切なくなる。
何のための血のにじむような努力だったのかってね。
書店さんが届いた誌面をよくよく吟味したうえで
「この本はどう考えても売れない」と判断したとか、
あるいは他の雑誌と同様に並べたけれど、売れなかったのならば仕方がない。
それは自分の実力だったり、方向性が間違っていたことでしょうから。
ただ、届いた本をよく見もせず、弱小出版社だからと
初めから勝負をさせてくれない書店さんには聞いてもらいたい。
「俺と、俺の仲間たちが命を削ってつくったものを、何だと思っとんじゃい」
俺たちは本をつくるプロであって、書店さんは本を売るプロでしょうが。
まったく動きのない大手出版社の本を1ヶ月以上平積みにして、
その隣でガンガン減っている『昭和40年男』は1週間で棚差しにされる。
棚に差されれば当然だが、ピタッと動かなくなり、
でも一方でまったく減らない平積みはいつまでも誇らしげに表紙をさらしている。
そんな現象が起こっているのがプロの現場といえるだろうか?
さっさと大手になればいいのだろうが、こちとらまだその過程にいるんじゃい。
ホンの一部の書店さんだとは思いますが、心から叫びたいです。
「プロらしくあれ」と。