3月11日発売号の〆切が迫ってきた。連載でお送りしている特集『夢、あふれていた俺たちの時代』は、昭和60年を取り上げる。昭和40年男たちは20歳を迎える年で、プラザ合意があり、日本はバブルへと向かって猛スパートを始めた。DCブランドブームのまっただ中で、何万円もするスーツをローンで買った。オンナの子をゲットするためにクルマに大金をつぎ込んで、カーステレオには口説くために作ったムードカセットテープをセットしていた。現代の20歳とはずいぶんと異なる人種のように思える程、右肩上がりの時代を謳歌していた…、人もいれば極貧のなかでもがいていた者もたくさんいる。僕は完全に後者で、大阪の四畳半一間のアパートで食うのも困る程の生活を送っていた。
個人的にトピックとしてあげられることが長年の夢、タイガースの優勝だ。テレビのない部屋で、快進撃をラジオで聞きながら、興奮の日々を楽しんでいた。人生初めての一人暮らしの地が大阪で、そしてタイガースが優勝したのは、偶然で片付けたくないと密かに感じたりしていた僕だ。貧乏だったけど楽しかったスイート・ホーム・大阪での暮らしは、今も強く自分のベースになっている。
それともう1つのトピックが『ウイ・アー・ザ・ワールド』のヒットだった。前年イギリスのミュージシャンたちが中心となったチャリティ活動のアメリカ版のようなカタチだが、参加ミュージシャンの個性をバッチリと引き出したアレンジは見事だった。初めてビデオを見たときは、音楽の素晴らしさや可能性を再確認して、涙が帯のように流れたっけ。好みの演出はレイ・チャールズとボブ・ディラン、シンディ・ローパーあたりかな。メイキングビデオで、クインシー・ジョーンズがボブ・ディランに彼らしい歌唱指導をしているシーンや、シンディのイヤリングを外させるなどの微笑ましいシーンからは、大物たちと思えない親近感が感じられ、ミュージシャンっていいなと、より強く憧れた。
前年の『ドウ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス』や『バンド・エイド』、そして『ウイ・アー・ザ・ワールド』と、僕ら昭和40年男の心に残したものは大きいのではないか。そして、後のミュージシャンたちの活動の指針にもなった。『ウッド・ストック』の時代とは、世界が大きく変わったのだなとも思わされた現象であり、音楽シーンの歴史に大きなクサビを打ち込んだ大きなターニングポイントになった。昭和60年のこのヒットは歴史的な出来事であり、僕個人にとっても大きな影響を残したのだった。