ずっと愛用してきたauのガラケーと、ついに別れるときが来た。ずいぶん前にもiPhoneを手に入れて、ガラケーからの引越を企てた。ところが、今は改善されたようだが、当時のソフトバンクは地方での通話がauに比べると断然弱かった。とはいえ、移動中にネットに繋がるiPhoneの存在感は日に日に増していき、一方で地方出張が年間30を超える僕にとっては電波状況も重要ということで、結局長きに渡って2台持ちが続いていた。これはこれで便利で、料金プランをそれぞれの用途に合わせて組み直して愛用を続けてきたが、双方ともそろそろバッテリーの保ちが悪くなってきた。そろそろだろうとついに踏み込んだのは、1度も持ったことのないNTTへの移動とiPhone1台への集約だ。新しい相棒のサクサク感は素晴らしく、地方出張の通話だってバッチリだ。ネットもこれまでよりグンと早い。なんで躊躇していたのかと、今となってはそう思えるほど快適な携帯ライフが始まった。
だが長くつき合ってきた二つ折りの携帯への愛が無くなったわけじゃない。パカッと広げて会話する感じは、メカ好きの僕の心を強く満たしてくれていた。比べると新しい相棒はかまぼこ板のようで、通話へと入っていく盛り上がりに欠ける。ジーンズのケツのポケットに入れて床に座ろうが、落としても雨に濡れてもヘッチャラな頑丈さも、iPhoneにはない。初代auは至ってフツーの携帯だったが、バイク関連の過酷な取材現場でもヘッチャラなモデルにしようとこのタイプを愛用し始めてコイツが2台目であり、これまで3台の二つ折りauと苦楽(!?)を共にしてきたことになる。いつもジーンズの左ケツのポケットに入れていたから、なんとなくここに何も入っていないのがもう1週間が経つってのに慣れない。マナーモードを鋭く察知するように進化した左ケツの神経も、もうしばらくすると鈍化するのだろう。
昭和40年男たちは、現代人に比べるときっと身のまわりの道具への愛着が強いと思うのだがいかがだろう? たかが携帯ながら、まるで人生が変わっちまったかのような気分を味わっている僕だ。一方で、通話や様々な機能が格段によくなったことと、2台持ちの煩わしさから解放された喜びは大きい。この気分はそうだ、グローブを買い替えた小学生のときの思いと似ている。ずっと自分のプレイを支えてくれた大切な相棒から、ちょっと固くて革の香りが新鮮なルーキーへと移り、喜びと寂しさが同居したあの日。なんてことを思い出すと、新しい相棒がしっかりと馴染むのも時間の問題だろうな。