ロッド・スチュワートこそアイドルなんだと崇めたのは、高校1年生にして日本武道館で始めてロックコンサートなるものにふれ、その主役が彼だったから。金髪、ド派手なコスチューム、腰をフリフリ、そしてイイ女をいつもはべらせていることが僕の男に火をつけた。ロッドになりたい。なれるはずのない遠すぎる存在だからこそアイドルなのだ。後に次々とロックスターに憧れては、また次のスターを見出していった僕だが、15歳という時期のせいもあってかロッドへの傾倒ぶりったらすごかった。なんてったって、黒髪のくせに髪型を真似したのだから。これが今に至るセルフ散髪のスタートである。
ニール・セダカやポール・アンカといったアメリカンポップスが流れていて、マンダムの香りで充満した東京下町の床屋さんでそんなヘアスタイルの注文ができるはずがなく、ある日自分で切ることを思いついた。おそるおそるトップだけをちょっと切ってみると、見事に逆立った。
「おお、ロッドみたいでロック炸裂だぜ」と、ご機嫌になった僕は、ここからセルフ散髪をスタートさせたのだった。徐々にテクニック(!?)を身につけていき、やがて全体をカットするようになった。カットを続けながら、ロッドや他のロックスターのように、ギザギザした仕上がりにするにはどうしたらいいのかと思いついたのが、カミソリカットだった。
家を探したところ貝印のT字のカミソリがあり、これで削ぐように切るとイメージに近く仕上がる。後ろは見えないからたまに深く入ってしまい、クレーターのような穴を作ってしまうことはあるが、前髪やトップを自在にできるのはありがたかった。母親の三面鏡の前に新聞紙をたくさん広げて、パンツ一丁でその上に座り髪を切る。このスタイルにたどり着くまでに、トップをちょこっと切った日から半年とかからなかっただろう。以来30年以上、このスタイルで切り続けている。途中、骨を折ってしまったり、ナイスな美容師と知り合いになり、アレコレ注文しながら格安で切ってもらったことはあったが、ほぼセルフを続けている。
が、ここのところありがたいことに、取材を受けることが増えた。すると証拠写真として自分の姿を撮影される。それを見る度に、こんな頭じゃ次の取材は無くなってしまうと後悔しつつ、散髪屋さんへと足を運ぶ時間が捻出できずにいた。だが、それも今年からは違うぜと誓ったのは、新年早々4日の朝日新聞に掲載された自分の姿だった。これまででもっともひどいヘアスタイルをおおいに反省した。社のスタッフから指摘されたこともあって、セルフ散髪とは決別を誓ったのだった。
が、新年のバタバタで散髪に行けないままに2月を迎えてしまった。忙しさもさることながら、美容室か床屋か? どんな注文をすればいいのかなんて躊躇しているうちに、髪はどんどん伸びてしまい、明後日にはまた取材が控えている。今日明日に散髪に行く時間など捻出できず、誓いを破ってまたもT字カミソリに手を伸ばしてしまった。少々そろっていない頭でも、伸びきった頭よりはいいとの判断である。
逃れられない一番の理由は、すべての作業を10分もかからず終えられることだ。洗面所の床に新聞紙を敷き詰めて、髪を濡らせば準備OK。あとは鏡を見ながら大胆かつ繊細(!?)にカミソリを入れていくだけ。終わったらそのまま浴室でシャワーして、ハイおしまいの気軽さである。今日はさっぱり短くなった髪で出社となり、すこぶる気分がよろしいのだが、細部の仕上がりの悪さは否めず、やはり次こそはプロの手に委ねたい。
そしてどうしても躊躇してしまうのは、自分の頭ごときのことでどうこうしてくれって注文するのが、なんとも照れくさい。加えて、カワイイ若いお姉ちゃんが出てきたら、どんだけ緊張することか。かといって、小学生の頃にニール・セダカを口ずさみながら切っていたようなベテランさんが出てきてもちょいと困る。今回はわりとバッサリと切って2ヵ月近く保つだろうから、その間に決心を固めたいものだ。
パツキンだからあのグラデーションが出るんだよね。
俺も17の頃、パツキンに憧れて染めようかとほのめかしたら、親父がお袋経由で「もしそんなことしでかしたら勘当じゃ!」と伝言してきよった。(笑)
いまではナチュラルに銀髪だけどね。(爆笑)
そんなんですよね。金髪に憧れたなあ。どんなに逆立たせても、ロンウッドどまりでした(笑)。