干し芋をほおばって。

完走芋「おい、明広。水菓子屋に行って干し芋買ってきてくれ」
このシンプルなセリフには、昭和下町の団欒が詰まっている。なんでこんな言葉を思い出したかといえば、ちょうど1週間前に走りきったフルマラソンの参加賞で、乾燥芋ならぬ“完走”いもを頬張った瞬間に、当時が蘇ったからだ。

食事が済んで、家族全員で居間で過ごしながらテレビを見ていると、ごく稀に親父がデザートを要求することがあった。渡された小銭を握りしめ弟と一緒に近所の果物店に出かけると、もっとうまそうなものがたくさん並んでいる中から、地味な乾燥芋をピックアップする。桃の缶詰なんかを買っていきたいところだが、ここで変な行動に出れば稀にあるデザートタイムそのものが消失してしまうかもしれず、親父の言いつけどおり買ってくるのだった。ストーブでちょっとあぶってみんなで少しずついただく時間には、さり気なく幸せが詰まっているじゃないか。華美なうまさはないが、シンプルな甘みは今も昔も変わらない。

みかんの消費が減ったとの記事をつい先日見たばかりだ。高度成長期に多くが過ごしたこたつでの団欒が姿を消しつつあり、食後の家族は自分の時間へとすぐに戻る。そもそも一緒に食事をとることが激減した。みかんに限らず果物全体の消費が減っているのは、デザートの多様化ももちろんだが、こうした生活スタイルの激変も大きいと記事では伝えていた。たしかに、箱でみかんを買うなんてことは最近はあまり見なくなった。我が家も結婚してから今日まで、みかんを箱で在庫した記憶はない。テーブル暮らしがあまり好みでなく、相変わらずのこたつ生活なのだが、残念ながらみかんは置いてない。そもそも、家で夕食を家族全員で取るなんて贅沢もほとんどなく、自分の生まれ育った環境に強く感謝しているものの、自分の築いた家庭には反映されなかったのである。

生活スタイルの変化と嗜好の多様化で、消費はますます煩雑になっている。そんななかでビジネスを構築するのだから我々は大変であり、だがおもしろくもある。華美なスイーツに混じって、みかんや乾燥芋のようなシンプルなうまさが存在しているところに、じつは勝機やヒントがあるような気がしてならない。固く干された芋をほおばりながら、湧いてくるアイデアにニヤニヤと過ごす僕だった。

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