昭和40年男にとってのペット。

CIMG0215昭和40年男にとって犬を飼うってのは、小さな犬小屋を置ける庭付きの家に住んでいる方だけの特権だと思っていなかったか? アニメやマンガに出てくる犬はそんなシチュエーションばかりで、家のなかで同居するものだとは思っていなかった僕だ。そんな時代錯誤なと思う諸氏もいるだろうが、ホントにそのくらい犬のいる生活がほど遠かった。僕の大反対を押し切って飼い始めたのは、61歳で突然義父が亡くって、女房がその悲しみを埋めたいとの気持ちからだった。それなら仕方ないと折れたものの、僕は一切面倒を見ない。散歩もしない。飼ってもいいが勝手にしろと、今考えるとずいぶんとひどい言動ばかりだった。

飼い始めて数ヶ月が経過した。女房が出かけるときについていきたいと訴える犬っころに玄関で彼女が「待て」と声をかけると、そう命じられたヤツはずっとお座りしているではないか。けなげな姿についつい同情してしまい、仕方ないやと散歩に連れて行ってやった。この辺りから一切面倒を見ないとの宣言はどこか遠くへと放り出され、家に帰るとヨシヨシしてしまうだらしないおっさんに成り下がった。我が家にやって来てからもうすぐ10年となるコイツは、今やかけがいのない存在となっているのだ。

子育てに忙しい時期だったら無理だっただろう。面倒をしっかりと見ていないとろくな犬にならないようで、勝手に育つものだと思っていた僕にはこれは意外だった。キチンとしつけないと、人間社会で犬は共存できない。これまで猫は何度か飼ったことがあり今も1匹いる。トイレのしつけさえすればそれほど困るようなことはなく、癒しの時間を提供してくれる。ゴロニャンとジャレてくれて、膝のなかに入ってきて眠るかわいさったらない。犬はもう少しだけキチンとしつけないと、今僕が感じているようにかわいい存在にならないそうだ。

昭和40年男諸氏で、そろそろ子育ても一段落という方は多いだろう。ここらへんで、犬という選択は悪くないものだと進言する。若干の苦労はあるものの、キチンとなついてくれれば日頃の疲れを癒してくれる大きな存在となる。大変なことがこれからますます増える僕ら世代にとって、きっと悪くない時間を提供してくれることを約束しよう。それと散歩に連れて行かなければならないことが、日頃運動から遠ざかっている諸氏にはプラスになるはずだ。実際、そう愚痴りながらも恩恵を享受しているご近所さんを多く知っている。そしてこうした出会いも大きなプラス要素で、ご近所との接点をまったく持たなかった僕が、犬友と呼んでいる同年代の旦那さんたちと知り合い、呑み屋で肩を並べたりしているのだから。50歳を前にして、いい選択だったなと感謝している。

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2件のコメント

  1. 今まさに犬を飼おうとしています。二代目となります。初代は昨年9月に他界。
    『可哀想だから飼わない』ではなく、可哀想だから飼って少しでも幸せにと思っています。これって飼い主(人間)のエゴでしょうか? あれから4ヶ月、寂しさに打ち負かされました。

    • どんな相棒と出会うのでしょうか。つらい気持ちを少しずつ和らげてくれるはずですよね。楽しい写真をお待ちしてます。

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