昭和40年男の別れ。

本格的に仕事が始動して2週間が過ぎた。さすがにおとそ気分も振り払えて、仕事に邁進中のことだろう。新年会はまだまだ今月一杯続き、ついさっきには2月に入ってしまうけどなんてお誘いもあった。忘年会は〆切でほとんどを断ったから、新年会は極力顔を出すようにしている。だが、誘われる件数が圧倒的に忘年会の方が多いのは、おそらくみなさんにも共通したことだろう。本来ならば新年の希望を分かち合うべきなのだろうが、どうやら1年の憂さ晴らしの方が盛り上がるのだ。

加えてこの時期に舞い込んでくるのが、送別会のお誘いである。新年度に向けて移動が多く寂しい知らせが相次ぎ、今年に入ってすでに3件の送別会が計画された。そのうちの1人は、タメ年男でしかも10年以上の担当者で、これほど長く同じ部署にいながらの付き合いは珍しく、つらい会になりそうだ。彼とはぶつかることも多かった。互いの主張を言い合い、キッチリと筋を通すことも忘れなかったタメ年男である。ぶつかる一方で、一緒に練り上げた大きな仕事も数件あり、本当にいい仕事仲間だった。その彼の送別会を、数日後に僕の主催で開催するのだ。

昭和40年男にとって、送別の場面は年々増えているのではないだろうか。春に向けて今年も涙ふく木綿のハンカチーフをたくさん用意しなければならない。移動だけでなく、仕事人生を積んだおかげで世話になった方の定年退職という別れも多くなってきている。まだまだ60歳で現役引退させる企業は多く、できる方が次々と第2の人生を選択させられているのは、日本の大きな損失に思えるのだが、逆に若年層の仕事がないのも現実としては重い。

同世代の方で、心の問題で退職したという話も残念ながらよく聞くようになった。不安を抱えて生きているのは昭和40年男に限ったことじゃないが、多分心が弱まってくる年齢を迎えているのではないか。日頃から鍛えておかなければ、スグに陥ってしまうのだろう。ならばどう鍛えるのか。職場を去った方々を見ていて感じるのは、友との語らいこそが一番のトレーニングだと思っている。喜怒哀楽を出せる友との切磋琢磨こそが、自然と心に自力をつけるのではないだろうか。昭和40年男の集いでも感じるのは、みんな傷だらけなんだけど笑い飛ばす術を知っている者はなんとか前へと走っていることだ。

さようならの向う側さて、喜怒哀楽を出し合ってなんでも語り合えた友の送別会は、心をこめて次の部署での活躍を願って進行させたい。二次会のカラオケではなにを歌おうかな。僕にとってさようならの名曲といえば『微笑みがえし』に『ヤマトより愛を込めて』、そして『さよならの向う側』である。これはきっと百恵さんで勝負だな。本気で泣かしてやるつもりで歌う。


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