いよいよカウントダウン状態に入ってきた年男イヤーを、みなさんいかがお過ごしだろう? そうそう、今日は赤穂の浪士たちが見事に主君の仇を討ったとされる日だ。泉岳寺までいく時間が作れず、せめてと近所の増上寺にお参りに出かけた。中学の頃に赤穂浪士の話に深く興味を持ち、自分の血肉になっているから、感謝の気持ちを込めて手を合わせてきたのだ。
今日は土曜日だから観光の方が多くいて、それぞれに暮れてゆく平成25年を楽しんでいるようだ。クリスマスムードにあふれている街はなんともいい感じだが、それにしてもつくづく僕はクリスマスと縁が薄い。
幼少の頃から、12月は毎日のようにカレンダーを巻いてはビニールに詰める作業をしていた。昭和の活気にあふれた電気屋は何百ものカレンダーをお得意様に配る。
「こいつを居間に貼ってもらい、何かのときには北村テレビ商会に電話をかけてもらえるように電話番号が大きく印刷されてるんだ」と、親父は毎年のように言った。テレビや冷蔵庫が飛ぶように売れるのも年末の恒例行事のようなもので、それこそ家族総出で家業を手伝った。日曜日の定休日ももちろん返上して、夏のクーラー時期以上の繁忙期を戦うのだ。そんな日々の束の間の休息となったのが、クリスマスイブだった。なぜか我が家には電飾があり、ツリーがないから壁に引っ掛けて雰囲気を味わった。鳥のもも肉と、扱いメーカーが差し入れてくれるクリスマスケーキが演出している食卓で、この程度ながら子供心にものすごくうれしかった。
高校3年の時から働き始めた居酒屋は、12月になると毎日戦場のように忙しかった。団体客が押し寄せての大騒ぎになる。客同士のケンカも絶えず、疲弊しながらも懸命に働いた。そんな日々の中で、24日と25日はまったく暇になる。クリスマスと居酒屋は、当然ながらマッチングが悪いのだ。
「今日女の子同士でいるグループは彼氏がいないはずだ」と、目をギラギラさせてナンパに走る先輩がいたっけ(笑)。
居酒屋をクビになり、広告屋に入っても忙しいだけで盛り上がった想い出はない。会社を興したばかりの頃に、どんな仕事でも欲しいとクリスマスのライトアップの下請けみたいなことをやったことがあった。その撤収作業が25日の深夜で、寒くてかじかんだ手でまったくはかどらないながら、朝までの完全撤収を間に合わせて、夜明けの帰り道がなんとも清々しかったなんて想い出が残っている。
さらに『昭和40年男』が隔月発行になった2011年以降は、イブもクリスマスも会社近くでカンタンに飯を済ませ、寝袋にくるまって会社で寝ている。そんな風にクリスマスに縁の薄い自分でありながら、このムードは大好きだ。幸せそうな笑顔で行き交う恋人たちを見ていると、こっちま楽しい気分になってくる。後ろに大好きなお正月が控えているから、楽しめなくとも気持ちに余裕がある。クリスマスから迎春へと、街がお色直しする26日がまたよいもので、今年は暦の影響で1月11日発売の『昭和40年男』の完成データを印刷所へ手渡す日となっている。今の楽しみは、この瞬間を無事に迎えて大酒をカッ食らうことだ。きっとみなさんも同じように大変な日々を過ごしていることだろう。互いに完全燃焼で突っ走りましょう。