うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、これまでのことを振り返りながらつづっている。
俺にとって3作目の、そして会社の出版事業としては処女作となる『タンデムスタイル』は、
過去2作のような華やかなデビューという状況はつくり出せなかった。
版元のプレッシャーなのか、肩に力が入っていたのは否めない。
それと描きたい世界観に対する実力が伴っていないことが、
本をわかりづらくした部分も否めない。
ほぼ同じスタッフで俺がタクトを振っても、
すべてが同じような成功を収めるわけでない。
当たり前のことだが、そんな結果を知ることとなった。
とはいえ、これまでにまったくないタイプの雑誌を送り込んでいるのだから、苦労はつきものだ。
3作目ということで、自分自身の期待と社の期待が大きすぎたというのに対しての苦戦であり、
創刊誌としては決して落第点ではなかった。
発刊を繰り返すごとに評価はジワジワと高まっていき手応えを感じ始めた。
と同時に、こいつを大成功させたら俺たちは天下を取れる
(まったぁ、大げさなんだから)とまで思うようになった。
これほど難しいテーマを持った新しいものでマーケットをつくれたら
何をやったって大丈夫でしょうという、
イマイチ説得力はないものの自分自身は大まじめにそう考えるようになっていった。
こんな口癖にもなっていた。
「タンスタ成功させりゃ、天下が取れるぜよ」と。
小さなことから骨格に近い部分まで、毎号毎号手を加えた。
そう、一番の問題は自分を含めて実力不足なのだ。
だったら若いのだから向上させればいいと、
難しい企画を厳しくスタッフたちに伝えていくと、徐々にだがレベルアップが図れていった。
同時に俺自身がバシバシ磨かれていった。
「大成功」とまではいかないが、「成功」というレベルまでいくのにそう時間はかからなかった。
特集タイトルだけ見ても野心作が多い。
“バイクで遊ぶ夏がやって来た”
“たかがバイクになぜハマる?”
“バイクジャンキーな理由”
“運命の1台を手に入れる”
などなど、これらはタイトルの重要性も強く認識するものとなった。
懸命になってつくっていると、自然といいものへの感覚が身に付いていくのだった。
新ジャンルのものが登っていくのはおもしろいもので、
これまでの2作と全然違う曲線を描いた。
緩やかだが右肩上がりを続け、やがて曲線は弧を描き上昇を加速させていく。
丸3年を経たころには社内に大成功宣言を出した。
ものすごい勢いを肌で感じながら、それはそのまま部数や周囲の評価となって結果に現れた。
「石のうえにも3年」という言葉を身をもって体験でき、
3年はひとつの目安として重要な期間であることを胸に刻んだのだった。
「クレタも終わった」とまで揶揄された『タンデムスタイル』は、
二輪雑誌の台風となって業界内外に風を起こした。
まあ、業界内の評価なんざ初めからどうでもよかった(だいぶ落ち込んでいたけど)が、
手のひらを返すとはよく言ったものである。
おもしろい経験をしたと思う。
業界内の声を無視して読者目線を大切にして作り込み、
ジワジワと成功へと向かいやがて大成功と呼べる評価を手に入れたのだから。
一部であるが、業界人というやつがいかに無責任で保守的なものかということを、痛いほど感じた。
前にここで書いたことがあるが、表現の世界に“普通”という言葉はないと思っている。
それは『タンデムスタイル』のときにイヤと言うほど聞かされたからでもある。
俺の表現に対してあきれ顔で「普通のバイク雑誌は〜」などと言う輩の多いこと多いこと。
そんなヤツに限って自分で工夫して創出するセンスがないから、「普通」で武装するのである。
かわいそうな話であるから同情できればいいのだが、
そんな了見は持ち合わしちゃいないから、そうした人たちが今も大嫌いなままだ。
あれっ、でも大成功したら天下取るんじゃなかったっけ?
天下どころか、いまだに汗まみれで本をつくり歌っている自分だねえ。
まっ、こんな誤算は仕方ないのだ。