カワサキの名車、Z1を開発した男たちとの宴。

昨日は兵庫県明石で楽しい時間を過ごした。オートバイの歴史上、最も大きな変革を生み出したカワサキのZ1の開発に関わった男たちとの忘年会に参加してきたのである。

CIMG1905僕ら世代はバイクブームの渦中にいた。手に入れたヤツはほんの一握りだったかもしれないが、憧れながらため息をついていたタメ年は多くいることだろう。そのブームを牽引したのは、レーサーレプリカと呼ばれるハイパフォーマンスのマシンたちだった。

大ブームとなる以前のこと、日本のバイクはホンダが中心となって世界を相手にしながら発展を続けた。その中にあってカワサキは完全なる後発メーカーで、撤退も議論されるような苦境に立たされていた。そもそも航空機や巨大船舶を作り出すような重工業をメインにしていた会社で、バイクを大きな事業に育てるには素地があまり整っていなかったのかもしれない。ほぼ決まりかけた撤退を覆して、バイクづくりの現場にいた男たちは経営陣に掛け合いなんとか事業の延命を勝ち取った。そして活路をアメリカに見出し、開発陣と現地マーケティング担当がしっかりと手を組みヒットを生み延命は遂げられ、究極のカタチとして求められたのがその名のとおりZなのだ。

この名車はその後のカワサキを変えたどころか、バイクの歴史を変えた。先日もこんな話を書かせていただいたとおり、開発の現場に1人の天才ライダーが存在したことも大きく、当時のバイクのレベルを二歩も三歩も押し上げた。このバイクの開発に携わった男たちを中心にした、ゴルフの集い(笑)がZ1会として組織されている。僕はここの会長であるミスターHP(ホースパワー、つまり馬力)と呼ばれる大槻さんに取材を通じて弟子入りさせていただき、この会にも名誉会員として迎え入れていただいた。年に4回あるコンペには1度も参加したことがないが、会のMVPを決めるこの忘年会には顔を出している。

まさに温故知新である。当時のがむしゃらな現場の話を聞きながら、自分の仕事へのエネルギーとする。
「毎日20時間近く仕事をしていた」

「ホンダと比べたら金と人の数は圧倒的に劣るのを、気合いでカバーした」

「モノづくりのすべてがあの現場にあった」

などなど、珠玉のセリフがポンポンと飛び出す。会長の大槻さんは「(リリースから)40年を過ぎた今も世界中にファンがいる。そんなバイクを生み出したことを誇りにしていこう」と高らかにおっしゃった。そしていつも自分たちを侍だと言う。現代社会では不適切すぎる言葉も繰り出してみんなが大笑いするのは、やはり現代人のふがいなさを感じている裏返しなのだろう。僕は諸先輩方に負けない仕事を目指しますと宣言し、フンドシを締め直したのだった。

今回の冒頭で、○○氏が亡くなったとの悲しい報告もあった。写真をご覧のとおりみなさん高齢である。彼らの意志を継ぎ、増大させて後世へと伝えていくブリッジにならなければならぬ、我々昭和40年男だ。そんな気持ちを強くさせられる男たちとの3時間の語らいで、エネルギーは存分にチャージされた。さてと、今夜の『大阪秘密基地』でぶちまけることにするかっ!!

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1件のコメント

  1. 当時のバイク雑誌オートバイの”俺サ”コーナーに応募したのは、愛馬KAWASAKI GPzでした。
    z1は欲しくて堪らなかった。
    男カワサキ。

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