うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、
間にいろいろはさみつつ、振り返りながらつづっている。
さて1年間編集長として踏ん張った『カワサキバイクマガジン』は快進撃を続けることができ、
『ジパングツーリング』とともにバイク雑誌に新しい風を吹き込んだ(またぁ、大げさな)。
ちょっと整理すると、96年に初の企画立案誌である『カワサキバイクマガジン』創刊、
97年に企画立案に加え、編集部を社内に構えると同時に、
エディトリアルデザイン&DTP部門を創設、
98年には『カワサキバイクマガジン』編集長に就任と、ドタバタな日々が続いていった。
毎春ごとに大事に立ち向かい、なんとかしがみついてきた。
そうしていく日々が充実すればするほど、
うまく行けば行くほど版元になりたいという気持ちが強くなっていく。
ところが、版元という江戸時代から残る言葉がそのまままかり通っているから、というわけでもないが
出版業界には旧態依然とした古い体質が多く残っている。
その際たるものが、雑誌出版への進出が非常に困難ということである。
通称“コード”とか“出版コード”とかいわれる番号登録を取得しなければ、
全国の書店を流通させることはできないのだ。
問屋が作る協会が認可したものだけがコードを取得でき、
同時に問屋が扱ってくれるから全国誌として君臨できるのである。
つまり、出版業界は問屋が非情に強い力を持った業界だということ。
もちろんすべてがネガティブなわけではない。
全国書店への流通網を整備し、1冊にいたるまで販売管理をしてくれる優秀な業者であるし、
また出版コードを乱発しないおかげで、全国誌を出せるということ自体にステータスが生じる、
といった具合に、メリットや恩恵を受ける部分もある。
それが年々崩れてきているのも、出版界におけるさまざまな変革期を迎えている要因の一つなのだが、
そのことについては後日、詳しく書き綴っていこうと思う。
そういうわけで、当時2冊のバイク雑誌を成功させたとはいえ、
「新しい企画にコードをください」というのは、99.9%不可能な話であった。
湯水のように予算があり、社会的にステータスのある会社だったら手はあったかもしれないが、
我々にはその道は完全に閉ざされていたのだ。
支持してもらえる雑誌は作れても、出版社にはなれない。
諦めたくはなかったが、道はなかなか開けなかった。
だが、99年、我々にチャンスがめぐってきた。
続くよーん