うちの社が出版事業に手を出して10周年を迎えたので、振り返りながら連載で綴っている。
って、まだ出版までいく手前の話ではあるが。
納得いく本づくりのために、数あるバイク雑誌の中でこの男だと思う人間に編集長を任せた。
俺も口は出させて欲しいという条件付であり、少々やりづらかったかもしれないが
前年に世にリリースした『カワサキバイクマガジン』のなんともやりきっていない気持ちはもうゴメンで、
今回こそ自分がつくった本だと言いたい。
余談であるが「俺がつくった本だ」と言える人間が多いことが、いい本になるというのが
俺の本づくりの基本的な考え方で、この時につちかったものなのである。
外部の人間や、デザイナーもそうだ。
情熱を注ぎ込んでくれればきっとそう思えるはずで、結果として本は勢いを得られる。
編集長を引き受けるという快諾を得て、彼の人脈から2名の編集部員が加わり
3人で部屋を使ってもらうことにした。
社内にはいるもののこの3人とは契約関係での仕事だった。
カンタンにいうとフリーの集まりであり、ただしこのオフィスでの仕事は
『ジパングツーリング』に関わることに限るというルールがつくられたのだった。
いよいよ制作が始まり、編集長とガチンコで議論するのは楽しく、また大変な作業でもあった。
編集経験のない俺と経験豊富な編集長がそうカンタンに噛み合わないのは当たり前で
でもいつも情熱をこめて話をした。
こうして編集作業がバタバタと進んでいく一方で、さらにもうひとつのチャレンジをした。
誌面(エディトリアル)デザインとそれらをマックでフィニッシュ(DTP)するということに手を出したのだ。
社内にいるデザイン関係の人間は、これまで広告物を中心とした経験しかなかった。
そこにデザインというのは共通だと俺も加わりデザイン部隊を引っ張った。
初のトライに、当然ながらさまざまな困難にぶつかりまくりの日々となり、
昼間は営業や企画といった作業をこなし、夜から夜中までデザイン部署を手伝った。
情熱と苦労を重ねてでき上がった小さな本は
やったよ、初めて「俺がつくった」と堂々と言えるものだった。
反省はたくさんあるものの、前年の『カワサキバイクマガジン』と比べて
大おきな充実感を得た創刊だったのだ。
続くよーん。