変わらない想い出の味。

広告の仕事に興味を持ち、小さな会社に勤めていたのがもう約四半世紀前になる。「好きだからあげる」との、赤いカードの丸井のコピーに感銘を受けて憧れた世界だった。そして一念発起して、赤坂にある小さな広告会社を志願して見事に受かったのだった。小さいながらこの会社は、憧れだった丸井をクライアントに持っていて、打ち合わせになるといつも緊張しながらのぞんでいた。が、コピーライティングのような花形の仕事は取れず、地味なモノクロのチラシ作りや、イベントの会場設営なんてのもやった。いつか見ておれとがんばったが、とうとう丸井のコピーは書かせてもらえなかった。

書かせてくれたのは、今は合併でその名称は無くなってしまった東京海上火災保険だった。主にこの2社を担当した。打ち合わせを繰り返して思ったことは、会社選びは人生の選択であるということ。双方、当時は人気企業でエリートばかりなのだが、東京海上は固い方が多かった。「北村さんはどこ出ているんです?」なんて、どこ大卒なのかを問われる。ちょっと肩身が狭い想いをしたが、そのエリート連中が僕の企画やコピーに唸ってくれるのが痛快でがむしゃらにがんばり、その経験は今へと確実に繋がっている。一方の丸井はみんな遊び上手でファッショナブルな方ばかりで、大学名を問われることは無かった。

赤坂蕎麦先日、営業先がこの街の近くで、懐かしの街を歩いてみた。会社のあったビルは立て替えられていて、周辺の店もずいぶんと様変わりしていた。残念な気持ちで歩いていると、マンツーマンで僕を懸命になって育ててくれた上司としょっちゅう出かけた蕎麦屋が、昔となんら変わらずあるのを見つけた。迷わずのれんをくぐると、まるでタイムスリップしたようにあの日のままだ。そして頼んだのは、いつもいただいていたセットメニューである。ちょっと塩っぱい汁の味はそのままで、小さな冷や奴が付いてくるのもまったく変わらず、しばし時間旅行を楽しんだのだった。いつも一緒にいた上司に時に叱られながら、またアドバイスを受けながら、時には世間話を楽しみながら食べた味だ。

この味とともに思い出したのは、濃密につき合っていただいた元上司の愛情だった。退社してから何度か会ったが、静岡県に引っ越してしまいここ10年以上ノーコンタクトである。この年末、彼に声をかけて当時の仕事仲間と忘年会を企画することにしようと、蕎麦屋を出るときには決心していた。

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