ここは大阪ミナミ。戎橋界隈の喧噪は終電が走り去っても変わることない。朝方まで酔っぱらいたちと夜のビジネスが入り混じって、まったく眠らない街だ。行ったことの無い人でも、この看板は大阪だとピンと来るのではないだろうか。カラオケなんかのイメージ映像なんかでもよく使われている。
先日の『大阪ミナミ秘密基地』は、参加者が少なかったことと、いつもつき合ってくれる方々が法事やら翌朝のイベントやらと重なってしまい、恒例の朝までのバカ騒ぎは開催されなかった。だがここで引き下がる僕じゃない。先日ここに『僕も朝までフィーバー(!!)はめっきり減った』などと弱音を書いたが、減っただけで無くなったわけじゃない。せっかくの大阪だ。1人で満喫してやろうと繰り出したのだった。
イベントが終了して、船場近くの開場からこの界隈まで散策しながらのんびり歩き、着いた頃には日付が変わっていた。だが、ここは天下の大阪ミナミのサタデーナイトだ。閉まっている店の方が少なく、深夜とはいえよりどりみどりである。手頃感のある和食屋のカウンターに陣取って、板前さんとの会話を楽しみながら、江戸料理とはちょっと異なるうまみが効いた料理に舌鼓を打つ。
「30年くらい前ですが、この街の呑み屋で働いていたんですよ」
「ずいぶん変わったでしょう。その店はまだありますか?」
「いいえ。散策しながら探したんですが、ないですね」
「30年もこの街で商売が続いている店なんて、ほとんどないですよ」
無粋だと思い歳は聞かなかったが、おそらく僕より5つくらい上の方だろう。てきぱきとした仕事を眺めながら、会話を楽しませていただき、ついつい長っ尻となってしまった。
大満足で店を後にして、いつもみんなと最後に行く、何時まででも呑ませてくれるバーで締めよう向かった。わかりづらい店をやっとのことで探し当てたのだが、鍵が閉まっていた。電話をかけても出ない。残念だが違うバーを探し、ここでもたわいのない会話と酒を楽しんだ。もう時間は27時を過ぎていて、残念ながら翌日の仕事が頭をよぎる。
「情けないぞ、昭和40年男。もっとはっちゃけろ」と“ブラック僕”が騒ぐものの、ここ最近はすっかり“ホワイト僕”の方が強い。最後の一杯をゆっくりと楽しみ店を出て、少しだけ表情を変えた街をゆっくりと散策しながら戎橋に戻り、道の端っこに腰を下ろした。
この瞬間だった。ああこの感じだと、どうもさっきから時間の旅を楽しんでいるせいか、地べたに這いつくばっていた様々なシーンがいくつもフラッシュバックされた。弾き語りしながら誰も聴いてくれないのに歌を続けていた夜や、いろんなことに疲れ果ててしゃがみ込んだ夜、友と缶ビールで朝まで語り合った夜などなど、夜の街はいつも僕を成長させてくれたのだ。そして、この目線でしか見えないことがあると、弾き語りをやっていたときに強く感じたのだった。街ゆく人のそれぞれに大切な人生があって、その1人ひとりの生活が交錯して街が形成さられているのを、普段は忘れていたりするから、たまにこうやって見上げてみることで、人にやさしくなりたいなんて思ったりする。そして自分の小ささを再確認できたり、普段と違う感覚をたくさん得られるのがいい。
さっきまでゆるゆると歩いていた僕は、15秒に1度は声をかけられていた。「呑みに行きませんか」「マッサージどうですか」「キャバクラいかがですか」と、もう勘弁してくれってほどに。でもこうして、街のゴミと一体化した瞬間に、1人も声をかけてこなくなる。あの弾き語りの日々に感じていた気分で、これも深く思い出した。この気分が心地よくて、大阪ミナミの夜をしばしこのままで過ごしたのだった。
写真はイメージです・・・・か??
イメージですよ。もしかして僕の後ろ姿だと思いました?