現代に通用しない僕好みの店。

ずいぶんと前の話になってしまうが、ひとまずおつき合い願いたい。去年の9月に、親父さんと呼んで親しんできた男が店をたたんだ。ひと回り上だから当時59歳だった。しばらく大きな板場への勤め人になるけど、小さな店で再スタートを切ると意気込んでいたから、そろそろ便りが届くのではと首を長くして待っている。でも、こっちから連絡を入れるのは催促するようで、とにかく♪私、ま~つわ♪な気分の今日である。

閉店直後に、個人的な感謝の会を開いた。これが実に感動的な夜だったのだ。えらく気に入っている寿司屋が同じ赤坂にある。そこである日、世話になっている親父さんが店をたたむのだと話した。『五番館』という店だと告げると、噂には聞いていると言うではないか。その寿司屋の常連たちが、今夜はどちらに行くか迷う店なのだと、いつも聞かされていたそうなのだ。そんなつながりがあるんだと感心させられたと同時に、僕が赤坂で両輪にあげる店が食通たちに愛されていたことがちょっとうれしかった。双方ともにリーズナブルな価格帯で本格的な料理が食える。これはバブル前に設定した料金で営業を続けている老舗だからこそで、古い街ならではの珍現象かもしれない。そして後日、店を閉める直前を迎えていた『五番館』の親父さんに、こんなおもしろい話があったと伝えると「ああ、石さんね」と、やはり同じような話で客たちから噂を耳にしていたそうだ。ならば感謝の会の舞台を『石』にしようと親父さんに言うと、ありがたいとなった。

感謝の会当日、閉店後の片付けをしている店を訪ねた。その姿は寂しかったが、親父さんはきっと復活すると信じていたから元気に「行きましょう」と声をかけた。その際、ここでの焼酎のボトルに約10年かけられ続けたネームタグが欲しいと告げた。すると、客たちとの想い出の品が詰まったプラモデルくらいの箱を持ち出し、僕のタグを取り出してくれた。これを持って『石』へと向かった。

「どうもどうも」と、長年にわたって互いに噂だけを聞いていた2人の職人の出会いは、なんともおもしろい。かみ合っているのだが、そうでないのかよくわからない会話を僕は横で眺めながら楽しんだ。そして持ち込んだタグを持ち出し、僕のボトルにかけてくれと頼んだ。「もちろんどうぞ」となり、僕のボトルはタグが2つぶら下がることになった。親父さんの店が復活したときは『石』の親父さんと一緒にお祝いに行く。そしてこのタグを戻しにいくからと『五番館』の親父さんに2人からのエールを送ったのだ。

北上夜曲あの日から1年と少しが経ち、最近親父さんのことを思い出す日が多かったところに、またも赤坂で愛する店『エルミタージュきくち』のママさんからメールが入った。

「今年一杯でお店を閉めることになりました」とある。またか…。

ママさんの名は多摩幸子さんで、和田弘とマヒナスターズとデュエットした『北上夜曲』の大ヒットがある歌手だ。『岸壁の母』で知られる、菊池章子さんの実妹である。やがて歌手をいったん退いて、赤坂に大きなクラブを出して息子さんと一緒に切り盛りしていた。だがバブル崩壊後はさすがに大箱を維持できなくなり、ママさんは小さなクラブを、息子さんはやや広めのラウンジを開店して、双方ともによくお世話になる。スタイルは異なるものの、前の大箱にあった古き良き赤坂の香りがプンプンする店だ(が、やはりリーズナブルなのは彼らの嗅覚なのだろう)。その1つが閉店となってしまう。よく一緒に遊びにいく大先輩にこのことを告げると、返事が来た。

去年の店じまいに花束を持っていった。あまり似合わない2人
去年の店じまいに花束を持っていった。あまり似合わない2人

「数年前から赤坂の街が少しずつ下品な方向に変容して、いつの間にか昔の粋な赤坂でなくなってしまった。赤坂が世間並みのつまらない夜の街になってしまった。『きくち』がなくなることで、赤坂に行く価値がほとんどなくなってしまった気がします。そんな上客も多いのでは…。時代の流れとはいえ、寂しいものです」と。まるで僕の代弁のようだ。

時代の変化は仕方ない。だが、本質が失われ続けているような気がしてならないのだ。そしてこれは、日本中のどこでも見られる現象である。

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