発売から7日目を迎えた。かなりの日数が経たないと売り上げがつかめないのが雑誌屋のつらいところだ。POS情報はつかめるが一部店舗のもので、最終の集計にはなんと4ヵ月を要する。心配な日々が延々と続いていくのだ。少しでも宣伝したい下心の現れが、昨日まで10日連続の大編集後記となっていて、もうそろそろおしまいにしないとイカン。後日またあらためて気が付いたことや、読者のみなさんから寄せられた声などで語らせてもらうかもしれないが。
さて、本日番外編としたのは、連載企画の『夢、あふれていた俺たちの時代』で取り上げた昭和57年があまりにも大きな年だったと総括したいから。当時、サブカルシーンを含んだ若者カルチャーはひとつの沸点を迎えていた。制御不能の時期を迎えたともいえる。制作サイドはおもしろいことへのアンテナとテンションが上がっていく一方で、次々と無我夢中で送り込む。新しいモノにふれながら世の中は、そのまま見る目が厳しくなっていく。その大きな喧噪の時期が、昭和57年を含む前後何年かだろう。化学反応が起きて大爆発したような時代で、その後はチリチリと燃えながらバブルに向かって行き、エッジはドンドン削がれて、スリルよりも安定した文化醸成が社会のニーズとなっていく。
この年、RCサクセションがお茶の間に姿を現した。本誌では表紙で取り上げた時を含めて過去に2度も大きく扱っているから、今回の特集内に入れるのは断念したが、RCサクセションがメジャーシーンへと斬り込んだ記念すべき年である。序章は一昨日に伝えた一風堂と同様、資生堂 vs カネボウのキャンペーンからだった。ちなみに『すみれSeptember Love』がこの年秋のカネボウのキャンペーンソングで、ライバルの資生堂は春のキャンペーンで清志郎さんを起用している。教授との異色コンビから放たれた『い・け・な・いルージュマジック』がそれだ。きっとこのエッジが効きまくった企画には、カネボウサイドは相当に悔しがったのではないだろうか。お茶の間で目撃した昭和40年男たちだって度肝を抜かれたはずだ。2人のキスシーンまでもがゴールデンタイムに流され大騒ぎとなった。カルチャー大変換期の象徴の1つが『い・け・な・いルージュマジック』であり、その後のRCサクセションの大活躍だった。サブカルチャーがメジャーになっていく。そのとば口でもがきながらドロドロと噴出したような現象を、17歳にして目撃できたのは幸運である。
僕個人としても、RCサクセションの現象をリアルタイムで見られたことは大きい。それまでも存在には注目していたが、教授とぶちかました時は頭をぶっ叩かれた気がして、さらにその直後にキチンとヒットチャートへとシングルを送り込んできたことには、ついに時代が追いついたとの興奮を覚えた。さらにこの年の夏、17歳の誕生日を迎えた直後に横浜スタジアムで目撃したのが、R&Bの大御所サム&デイブのサム・ムーアと、ロックンロールの神様チャック・ベリーとジョイントライブで、RCサクセションの存在感を大きく変えた。まったく引けを取らないステージさばきは、サブカルシーンを駆け抜けてきたRCの音楽が世界に並んだと、僕に勇気とでっかい夢を見せてくれたのだった。
いつかここら辺のサブカルとメジャーが描いたグラデーションを大特集したいが、今はまだ力不足でまとまっていない。数年前から課題のように感じていて、ことあるごとに各方面の方と議論している。そしてつくづく思うのは、この時代を何歳で迎えたかによって、感性に大きな差異が生じていることだ。5歳上の兄貴たちだと昭和57年当時は22歳で、俺たちよりキチンと精査しながら現象を目撃していて、センスの練られ方に熟成を感じるのがおもしろくて話が尽きない。このカルチャー大変換期が、当時多くの若者たちの後の人生に大きな影響を与えているのだ。昭和57年を特集した今号の作業は、様々なことを熟考させてもらえたいい時間の旅になった。