先月末の24、25日に行なわれた鈴鹿8時間耐久ロードレース、
通称“8耐”の取材裏を連続してお送りしている。
ちなみに今日は北海道の旭川でバイクイベントを開催して、
終わったらそのまま東京へとトンボ帰りで浅草秘密基地に直行というスケジュールだ。
みんな来てくださいね。
さて、決勝当日の7時過ぎ、食料と水分をしこたま買い込みいよいよ決勝の鈴鹿に着いた。
あの暑い中での長時間だから、水分はもとより、食わなければ死んでしまうと米を体にたくさんぶち込む。
(結果的にこの取材を終えると、毎年体重は増えている)
今日の俺の任務はカメラマンとして写真を撮りまくるというもの。
先日11回目の取材と書いたが、さっきよくよく考えたら1999年からの12回目でした。
すげーっ、ひとまわりしたよ。パチパチ!!
プレスルームに詰めているカメラマンに中にあって
俺はもっとも非力な機材をぶら下げている1人といっていいだろう。
もちろん、撮影の腕だってこれ一本で食っているカメラマンたちに勝てるはずはなく、
だがしかし毎年俺をカメラマンとして送り込んでいるのは、
うちの雑誌群だとそもそもレースをそれほど大きく取り上げることはないから、
写真そのものも大きく使うことはないので、差が出にくいというかわからない。
だったら緊張感の中で特上の現場をこなすのは、たぶん自分自身の邁進力を得ることになる。
だからといって、こちらの都合だけで写真を撮っていたら罰が当たるから、一生懸命撮影する。
編集部や買っていただけるお客さんはもちろん、なにより自分の仕事心に申し訳が立たないからね。
でも一生懸命だけでどうにかなるものでないから、
俺が目指すのは誰よりも長い時間、コースに出ていることだ。
自己満足に過ぎないという気もするが、そうばかりでもない。
デジタル時代の恩恵であるが、いくらシャッターを切ってもフィルム代はかからない。
ならばたくさん打った方が、いいに決まっている。
下手な鉄砲もなんとやらである。
それに長くいればそれだけさまざまなシーンに出くわす。
レースは現場で起こっているのであって、
たとえば今回だと優勝候補ナンバー1のヨシムラが転倒してしまった瞬間を撮ることができた。
たぶんこの重要なシーンに居合わせたのは、取材に来ているものすごい数のカメラマンの中で俺ともう1人だけだ。
こういうことがあるのだ。
確率の問題なのだから、いればいるだけグーンと増えることは誰でもわかる。
撮影力不足を体力と気力でカバーするのだ。
だから毎年ボロボロになるが、こうでもしないと自分の心も納得しないからね。
追いかけるチームの中には、昭和40年男の最新号に登場いただいた鶴田竜二さんのチームがある。
そしてもうひとつが前日取材した“風の会”の代表である水谷勝さんが引っ張るチームだ。
その他にも10チームほどチェックを入れているが、この2つに思い入れが強いのはお許しください。
とくに水谷さんは、今年還暦でありながら走っている。
さらにさらに…続くよーん。
毎度、風親父です。
土日が好天でサラリーマンにはうれしい限りです。
8月の富士ツーリング、9月のラブジ・ツーリングに向け無料の高速を利用して高速道路リハビリ中です。
今までも結構高速は走ったのですが、以前と違って高速道路が高速で無くなっています。
ここに書かれていた通りバイクを取り巻く環境が変わってきているのかも、そして受け入れる必要があるのかもしれません。
と言う訳で初めてバイク用レーダー(と言っても車と共用ですが)を付けました、32年間乗ってきて不思議とバイクでは捕まらなかったのですが、神通力(?)がいつまで続くかわからないので取りあえず付けてみました。
最近はナビを付けている人をたくさん見かけますが、自分は「道に迷うのもツーリングの楽しみ!」と思っているのでこのまま走りきろうと思っています。
時間を気にせず、道も決めずに目的地までノンビリと走り続けたいと思います。
では、9月に。
お会いできることを楽しみにしております。