「顔写真を撮ってきてください。できればギターと一緒がいいですね」
副編の小笠原にそう言われ、〆切作業で泊まり込みから一時帰宅して撮影したのがこの写真だ。やれやれ、写真を見る度にずいぶん老けたなと思うが、なんてったって48歳ですもの仕方ないな。このカットでないが、似たようなカットを次号に掲載する。宝探しくらい小さいのを、ぜひ見つけて頂戴な!!
せっかくギターを撮影したんで、コイツについて語らせていただこう。元々はTOKAIのコピーモデルで定価5万円の初級モデルだ。僕にとっては4本目のギターで高3の時に手に入れたものだ。中1の時にギターを手に入れて以来、ずっとギターリスト志望で音楽活動を少しずつスケールアップしていた当時の僕だ。ここでは何度も書いているが、本気でプロミュージシャンになると決めたのが中学校卒業記念ライブの夜。一緒に演った6人が、この道で食って行こうと誓い合った15の夜だ。1人抜け、違うメンバーを補充してはまた1人抜けを繰り返し、最後まで残った僕がバンドの幕引きをしたのが26歳だったから、なんだかんだと11年も続いたバンドだった。
このバンド結成時は、ギターを弾けるヤツが5人とドラムを叩けるヤツが1人という、どうしようもない集合体だった。ドラムはもちろんすんなり決まり、さて5人もいるヘッポコギターリストをどうさばくか。1人がポール・マッカートニーを尊敬しているからベースでいいと言ってくれた。また、家にピアノがあるという金持ち息子をキーボードに任命して、なんとか割りふれた。ボーカルは持ち回りで、ジャンケンで負けたヤツだったり、その曲の演奏で暇なヤツが歌うというひどい決め方だった。みんな楽器がうまくなりたいのであって、歌なんてどうでもいいどころか、人前で歌うなんてのは恥ずかしい以外の何ものでもなかった。
前述のとおり、中学卒業時に誓ったメンバーは脱退を繰り返し、高2の秋にはオリジナルメンバー3人に、新たにギターリストとキーボーディストを迎え入れ、第二期ウッド・ペッカー(バンド名)として動いた。それまでギターでは誰にも負けたことのない僕だから、当初はこのとき加入した男と張り合ったが、とてもかなわない腕前にギブアップした。彼らの加入する約半年前から、紆余曲折の後に僕がボーカルを引き受けることになった。ギターももちろん弾きまくる、この2人の加入前はギター&ボーカルを引き受けたトリオバンドでライブハウスに出演していた。僕の人生で唯一のトリオ時代で、思えばあれはあれで身軽でよかった。
このテレキャスターってヤツは、ボーカリストが好んで使う。いろいろと理由があるが、僕が好んでいる理由はまず軽いから。それとギターのデザインが主張し過ぎない。歌いながら激しく弾いてもスイッチ類に手がぶつかりにくいなどなど、飛んではねて弾くにはうってつけのモデルだ。つまりこれを買った日に、僕は中1から目指してきたギターリストの道を完全にあきらめたことになる。でもストーンズのキースが大好きだから、彼が好んで使っていた色とお揃いにして、細いストラップでものすごく低く構える。中途半端にギターが主張しているボーカリストに仕上げてくれた、記念すべきギターなのだ。以来、ギターは何本も手に入れているが、コイツはその日からずっと僕のメインで、もう31年の付き合いになる。今回雑誌に登場するということで、きっと喜んでいる俺の生涯の相棒だ。
定価5万円を25%オフの37,500円で買ったと記憶している。1983年に買ったわけだから今年でなんと30年の付き合いだ。割ってみると年間1,250円て、ずいぶんお得な買い物になったものだ。