鈴鹿8時間耐久取材記。〜風の会の感動〜

先週末の24、25日に行なわれた鈴鹿8時間耐久ロードレース、
通称“8耐”の取材裏を連続してお送りしている。

2002年のやはりここ、鈴鹿サーキットでのこと。
決勝前日に行なわれる“風の会”というイベントの
なんとも不思議な空気が漂う会場で戸惑いながら質問をぶつけ始めた。
この会の代表である水谷さんはこう語ったのだ。
「事故で下半身不随になってしまった少年を、バイクの後ろに乗せて走ったら
動くはずのない足がグッと僕を締め付けたんですよ」
これがこの会を立ち上げたキッカケだという。
そもそも身障者の方々はほとんどがバイクに乗れないから、
その風を感じてもらいたいとの想いもあるとのことで、バイクを愛してやまない男らしい言葉だ。
そして先のような奇跡が、また起こらないとは限らない。

どうせ乗るならとびっきりのステージでと、
鈴鹿8時間耐久ロードレースが行われる本コースを一周、しかも決勝の前日に走るという企画へと進化していった。
情熱のまま奮闘する水谷さんに誰もが協力的だったわけではなく、実施へは困難を極めたそうだ。
レースの準備と平行して、あまり得意ではないであろう交渉の矢面に立ち、難題をひとつずつクリアしていった。
だからだろう、この2002年の会場にはピリピリとした緊張感があり、
オペレートを手伝うボランティアスタッフに対してあちらこちらで怒声が飛んでいた。

国内のメーカーがこの日に参加希望した人数分のバイクを貸し出してくれ、ここまで運んできてくれた。
集まったプロライダーたちは、水谷さんの仲間だったり彼を尊敬する若手ライダーだったりと、
もちろんボランティアでここにやって来た。
まずはプロライダーたちが割り当てのバイクにまたがり、
続いて身障者の方が車イスでバイクに近づき、ペアとなった2人が挨拶を始める。
中にはコミュニケーションが取れないような重度の方もいるが、みなこの日を楽しみにしていた。
やがてボランティアスタッフによって身障者たちがタンデムシートに乗せられる。
自分自身で自由に動けない彼らをバイクから落下しないしないようにするために
ベルトの装具で身体を固定する必要がある。
この日のために何度も試行錯誤を繰り返して装具をつくり、
乗せ方も研究してきたものの、障害の重度も体格も異なる人間を固定していくのは容易ではない。
ガムテープまでも持ち出して、失礼な話だがくくりつけていく。

うだるような暑さの中、ライダーと体を密着させられて出走を待つ。
準備ができたからどうぞスタートというわけにはいかない。
国際レースの前日であり、日本最大のバイクイベント会場なので、仕方のないことではあるが、
どうしても気の毒に思えてしまう。
スタッフがおしぼりで首を冷やし、うちわで懸命に仰ぐ。
ライダーのアゴからはポタポタと汗が流れ落ち、その量はバイクのタンクを濡らすほどだ。
苦しそうな身障者の皆さんは、でも期待でそのときを待っている。
やっとゴーサインが出て、先導車に導かれコースへと出ていった。

どれほどのエネルギーと苦労が、水谷さんや運営スタッフにあっただろうか?
また、ボランティアで集まったスタッフやライダーのたくさんのきれいな心は、
もしも量で表現できたらどれほどのものだろうか?
そのすべてがこの一周のためにあったのかと思うと、こみ上げてくるものを抑えることができなかった。
やがて40数台のバイクに乗った80数名のライダーたちが戻ってきた。
トラブルなく、とびっきりの笑顔で戻ってきた。
ライダーと一緒に心を通じ合わせて楽しんだ風が、最高に心地よかったことは、その笑顔を見れば容易にわかる。
1台のバイクに乗ったそれぞれのペアの間には、強い絆ができ上がっているのであった。

と、長い解説になったが、そんなイベントが“風の会”である。
俺はこの日から毎年欠かさず取材に訪れ、感動と元気をいただいているのだ。
今年も4時前にこの会場に入り、約2時間半の取材を行なった。
9年前にはまったく知らなかったライダーたちと、
今はなんでも話せるようになっているのはここでの思いを理解し合っているからだろう。
いつもながらのすばらしいシーンの取材を終えると、鈴鹿の風はすっかりと涼しいものに変わっていた。

あれっ、よく考えれば暑さに負けず、1日中元気に闘っていたじゃないの。
ふっふっふ、やはり夏男は健在なのだ。
決勝の太陽、かかってきなさいと気合いがバッチリ入った取材初日であった。

今年も無事に風を感じた身障者の皆さんとライダー、ボランティアスタッフ全員での記念写真。みんないい顔だろ?

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